懐かしの昭和プロレス:MSG定期戦の記録②

 フレッド・ブラッシーの次がワルドー・フォン・エリックです。
 元祖、プロシアン・バックブリーカーです。

 フォン・エリックの親族を騙ったB級レスラーと思っていましたが、60年代前半は実力で各地のトップヒールを演じ、中でも特筆すべきがMSG定期戦で3か月連続サンマルチノ挑戦という実績。最初は引分け、二戦目はチャンプがリングアウト辛勝、三戦目で完敗して役目を無事に終えました。この挑戦者を3ヶ月くらい使い切れる所まで使い切るのはその後もずっとWWF/WWEのノウハウになっています。場合によっては、さらにヘルインアセルでの完全決着戦までやることもあります。
 そこまで絞り切ってから最後に新日本のNY遠征でアントニオ猪木の嚙ませ犬にして終り(アイアン・シーク、ボビー・ダンカン)。
 64年の暮れは、「荒法師」キニスキーがニューヨークに来襲。この時点ではAWA元王者でした。後にNWA王者にもなります。

 キニスキーはシングル王座戦に2回登場し、翌年はじめはタッグ王座戦に登場(シングル王座戦は試合なし)。4か月に渡ってサンマルチノと戦いました。この時にWWFを取っていたら三大世界王座を獲った最初で最後の男になれていたわけです。
 65年の1,2月はシングル王座戦がなく、3月にはビル・ワットが来襲します。
 元祖、オクラホマ・スタンピードですね。彼のこの技は晩年までキレが衰えず、「世界のプロレス」で駆け出しのキマイラを鮮やかに掬って投げたのには惚れ惚れした記憶があります。

 ビルワットは地元の英雄でありベビーフェイスです。NYへもサンマルチノの盟友として登場し、タッグマッチで裏切って挑戦者になるという新しいコースを拓きました。
 その後が、「もう一人の強いビル」ことビル・ミラーです。
 いや、チャンピオンも次から次に強力挑戦者がやってきて大変なことです。
 10月に単発でターザン・タイラーが挑戦しているのが目を惹きます。

 ワンショルダータイツで、ダウンした相手の上でダンスをする連続ストンピング攻撃(死のダンス)で悪名を馳せた一代の梟雄です。ビル・ワットとのコンビで日本プロレスで馬場・吉村からインタータッグを奪ったことでも知られ、ちょっとした実力者ではありました。