80年代の引き抜き戦争を振り返る2

 変な所から始めてしまいましたので戻ります。

 そもそもこの騒ぎの出発点は、1981年のブッチャー移籍です。

 当時は、猪木がIWGPに箔を付けるためにブッチャーを引き抜いたのだと認識していましたが関係者の証言が出そろった今ではブッチャー本人がファイトマネーに対する不満で全日本を出て行ったというのが真実とされているようです。IWGPの話しは後付けアングルなんですね。

 しかし、馬場側はタイガー戸口の件もあり、新日本の謀略だと確信して社会常識豊かな馬場らしくもなく報復戦に出ます。それが、ハンセンとシンの相次ぐ引き抜きです。ハンセンは、盟友ブロディとの最強タッグ出場というアングルで、シンは無理筋ですが新たなライヴァルとして輪島を狙ってきたと言うアングルで登場させます。

 今ではよく知られていることですが、この他にホーガン引き抜きが画策され、エージェントとしてダンカンを使って動いたと。この話しはダンカンが自分も高額で移籍すると強欲を張ったために破談になりました。もし実現していたらホーガンのレスラー人生は全く変わっており、結果としてアメリカマット史も異世界になっていたことでしょう。ナチスがWW2に勝っていたらどころの話しではありません(プロレスファン的には)。

 それ以外では、チャボ・ゲレロと、レス・ソーントンが、互いの保有するベルトごと入れ替わりました。そもそも二人の締めている二本のNWAジュニアヘヴィー級のベルトはいわくつきなので、同じマットに二人一緒には上がれないのです。

 それでもこの件については古舘伊知郎がNWAの公式文書なるものを放送で説明するなど、初代タイガーマスクの世界最強を証明する事案としてそれなりに熱を帯びて揉めました。

 なにもかもみな懐かしい。