なつかしの昭和プロレス:高野俊二

bqsfgame2013-02-22

1958年生まれ。
見掛けによらず大相撲の大鵬部屋出身。序二段まで上がったが低迷し廃業。新日本入門は佐山と同期。TV「アステカイザー」出演で出遅れている内に、前田、平田らに追い越されてしまい出世が遅れた。
筆者も当時は知らなかったが黒人ハーフで抜群のバネを持ち、若手時代は前田に対して無敗を誇った。前田をして若手時代の才能は高野俊二がトップだったと言わしめる逸材だった。
メキシコ遠征からカナダへ移動してカルガリー地区で活躍。その最中にタイガーマスクの突然の引退があり、帰国命令。覆面レスラー、コブラとして謎の覆面レスラー、ヴァンピートとNWAジュニアへヴィー王座決定戦を戦う。しかし、この試合はヴァンピートが試合前に覆面を脱ぎ、試合ではコブラの技を受けようとせず、散々な試合に。このため、TV放映では途中からダイジェストカットで映すという王座戦とも思えない扱いに。コブラはデビュー戦でミソを付けてしまい、以後も人気的には偉大な先達に遠く及ばず苦難の道を歩むことになる。カルガリー時代に一緒に戦っていたヒロ斉藤をライヴァルとして日本人抗争も実施し、内容的には質の高いファイトをしたが人気は今一つ。IWGP王座への移行のタイミングで越中と高田に世代交代する恰好になり、自身はへヴィー級へ転向した。
へヴィー級転向後も人気の立ち遅れから扱いが中途半端で、結局、ストロングマシーンの台頭でカルガリー時代から手の合った高野が当初は対戦していた。しかし、マシーンが藤波のライヴァルに浮上すると高野は浮いてしまった。マシーン、ヒロ斉藤らが離脱するときには高野も取り沙汰されたが残留。だが、コマ不足の状況下でもブレークできなかった。
マシーンが新日本に戻ってきてから烈風隊を結成してタッグ王座に就いたが、これも短期王座で解散。中堅で燻ったまま後輩の闘魂三銃士の台頭で、新日本での未来は閉ざされてしまう。
メガネスーパーのSWSへの移籍は止む無い選択だったと思うが、早々に団体は解散。この人もメガネスーパーで不幸になった一人に。ナガサキらとNOWを結成するも、立ち上げ前に自らが離脱。以後は太ってしまったことなどもあり、セミリタイア状態に。
前田をして自分以上の大器と評価させる逸材でありながら売り出し失敗から迷走を続けた不運なレスラー。とは言え、自分で自分を売り出す能力も必要な業界なので、自己責任で止むを得ない部分もあろうか。