なつかしの昭和プロレス:山崎一夫

bqsfgame2013-02-25

高田と同じ1962年生まれ。
高田との前座でのミサイルキック合戦で人気を博しオンエアを得た。
期待の若手だったことに疑いはないのだが、常に高田とセットで見られ、高田、山崎と並べて称される時には常に後塵を拝する立場だった。
高田とは別コースだったが第一次UWFに参加することに。しかし、高田の次の6番手では目立たなかったのは止むを得ない。この若手時代の序列の影響は最後まで尾を引いた。山崎は結局、新日本では一度もジュニアへヴィー王座に就いたことがない。
UWFと新日本の対抗戦では、特にキックの名手として活躍。山本小鉄は、高田のキックは棍棒で殴っているようだが、山崎のキックは青竹をしならせて繰り出すようなキレがあると評していた。
第二次UWFに参加し、前田、高田に次ぐ3番手に。エースの前田と互角に戦って話題になるなど、確実に地位は上がった。しかし、第二次UWFも崩壊。高田のUWFインターに2番手として参加した。しかし、高田を絶対王者としたUWFインターでは、高田の戦う大物外人の試金石的な役割を担うなど、若手時代からの「高田の次」と言う序列に貧乏くじを引き続けることに。
Uインターを離脱して単独で新日本へ逆上陸。当時の現場責任者だった長州に高く評価されて再び新日本マットで活躍するようになった。タッグマッチながら晩年の猪木からフォールを取ったりもした。
現在は新日本プロレス中継の解説者。
若手時代のちょっとした序列が終生付きまとうと言うのはあることなのだが、高田と山崎の場合は極端だったように思う。二人の間に決定的な力の差があったとは思えず、高田の成功から比較して山崎のレスラー人生はあまりにも地味なように思えて残念でならない。ヒロ斉藤もそうだが、こうした縁の下の力持ちが昭和プロレスを支えていたことは、もっと記憶されていて良いと思う。