なつかしの昭和プロレス:谷津嘉昭

bqsfgame2013-02-15

この人も1956年生れ。
幻のモスクワオリンピック代表から新日本入り。
当時はゴールデンルーキー扱いで、MSGのエストラーダ戦でデビュー、なんと海外中継された。アマレス出身と言うことでスープレックスが売りで、MSGでのデビュー当初のフィニッシュはジャーマンスープレックスが多かった。藤波と組んでムーンドッグスのWWFタッグ王座に挑戦したこともあり、NYでも破格の待遇を受けていた。
入門当時は色白でぽっちゃりしていたが、日本で猪木と組んでのメインイベントでハンセン、ブッチャー組にリンチされてから肉体改造。次に帰国した時には色も黒くなり体も絞られていた。
折しも長州の革命軍が組織強化している時期で、欧州から凱旋帰国した前田が本隊に入ったのとバランスするように革命軍に参加。本隊との綱引き対抗戦では猪木と対決し敢闘した。5対5勝ち抜き戦では中堅として2試合消化後の藤波、さらにグリーンボーイ時代の高田に連勝して地力が付いてきたことを証明した。
ジャパンプロレスとして全日本マットに上がった時の独自興業で、長州の対戦相手がキャンセルになった時に代役を入口投票で決めた時に選出され長州ともシングル対決した。残念ながらノーTV。
全日本マットでは長州と組んで鶴龍からインタータッグを奪ったのが大きな成果。しかし、長州の新日本復帰ではジャパンプロレスは分裂。谷津は全日本に残留して仲野と活躍するが、後には鶴田と五輪タッグを組んで王者に就く。
SWS発足に参加したが、ご存知の通りの団体迷走の中、天龍に反発して一旦引退。
その後は新日本に再登場を果たしたり、長州の新団体WJに参加したり。
この人も大才だったと思うのだが、タイミングに恵まれなかったし、他のレスラーの道具として使われて振り回された印象が強い。
新日本での凱旋帰国の時期に団体の経営が安定していれば、前田と次期エースを争っていただろうと思われる。