なつかしの昭和プロレス:後藤達俊

bqsfgame2013-02-09

1956年生れ。高田、山崎より出世が遅いので若い印象があるが、実は年上。
空手経験者として新日本に入門。猪木の付け人をやっていたそうだ。猪木の付け人は軒並み厚遇されて早い時期に頭角を現すのだが、後藤は遅咲き。第1回ヤングライオン杯で小杉、山田と同点で決勝進出資格がありながら負傷で辞退。
直後にアメリカへ武者修行に出て、現地ではナガサキの世話になって覆面タッグチーム、ライジングサンズとして活躍した。凱旋帰国したが、ナガサキが新日本マットではパッとしなかったのに加えて本人も負傷。ここらへんの時期に相次ぐ負傷でブレークする時期を逸してしまった。
その後、上田の弟子として金髪ヒールとして凱旋帰国したヒロ斉藤を軸に、ブロンズアウトローズが結成されるのに参加。此処でやっと前座から離脱した。その後、馳相手のバックドロップ事件でバックドロップの名手として知られるようになり、スキンヘッドに変身してからは大魔人と呼ばれるようになった。
実力派の中堅レスラーになったが闘魂三銃士の後塵を拝するようになり、平成維震軍などを流れ歩くようになる。長州との対立などから新日本を離脱、無我へ参加するも今度は藤波との対立などから離脱。今は風来坊状態のようだが引退したとは聞かない。