ここからは全員でなく印象に残っている選手だけ扱う。
1956年生れ。
柔道とボディービルの経歴で新日本入り。頑丈そうな四角い体で長州2世と呼ばれたそうだ。海外修行でカナダテリトリーで活躍。インディアンの血筋と言うギミックでサニー・ツー・リバースの名前で、スピーディーなファイトを展開していた。この時期には高野兄弟も同地におり、キッド、ブレッド・ハート、デイビーボーイ・スミスらと戦っていた。G高野とスミスが、初代タイガー離脱後の王座決定戦で新日本マットに登場したのは周知の通り。
どうしたものか平田にはタイミングの良い帰国命令が出ず、結局、KYワカマツが連れてきたスキー帽の怪人として新日本マットに登場。記者の質問に答えてワカマツが、ストロングなマシーンだと言ったことからストロングマシーンになってしまった。この機械人間ギミックは評判が良く、次々に増殖、マシーン軍団を形成していった。
当初はカルガリーマットで手の内の判っている高野兄弟とのマッチメイクが多かったが、大量離脱でコマ不足の事情から藤波の新たなライヴァルの可能性が浮上。藤波とのシングル対決が実現すると、この試合で介入したワカマツと同士討ちして独立。今度は裏切り者としてマシーン2号、3号と戦った。
いずれにせよ藤波の新たなライヴァルとして立場が得られたかに見えた1986年に高野弟、ヒロ斉藤と離脱、全日本マットに参戦する。
契約的な問題や金銭問題があり単純には行かなかったろうが、マット上のファイトだけ考えれば、この離脱は失敗だったと思う。もしあのまま残っていたら新日本でどんなファイトが展開できていたか残念に思うことの方が多い。
全日本マットでは長州と対決したりアジアタッグ王座に就くなどしたが、それほど輝いたとは思えなかった。新日本復帰後は前田と対決したり烈風隊を結成してタッグ王座に就いたが、これも本物になるまでは至らなかった。
その後は立場をコロコロ変えて活動、フェイドアウトするには強すぎ、大成するには中途半端な活動を続けて今に至っている。
藤波のライヴァルになった時点で新日本を担う二本柱のポジションを目指していれば取れたのではないかと見えただけに残念な大才。