なつかしの昭和プロレス:メジャーって何だ? わかんねぇーだろっ!

bqsfgame2013-12-13

インディーサミット第3回の最後のタカ・みちのくの名台詞で始めて見た。
昭和プロレスでは、全日本、新日本、国際と言う三大団体がしっかりしていた。それ以外はインディーとしか言いようがなかった。
しかし、平成に入ってからプロレス全体の地盤沈下は激しく、一方でインディーの林立と離合集散が繰り返され、何が何だかわからなくなった。しばらくぶりにプロレスに帰ってくると、なんだかわからなくなっていて慄然とした人も多いだろう。筆者もその一人である。
タカはなんだかわかんねぇだろうと言うが、ざっくりと定義すれば以下の3点を満たすのがメジャー団体だろう。
1:所属選手、専属契約選手により興行を開催する能力がある(人的資源)
2:定期的にシリーズを開催する能力がある(興行能力)
3:マニアだけでなく広くアクセス可能な地上波のオンエアがある(視聴提供)
で、現状を見ると、上記3つを満たしていると言えるのは、どうも新日本だけになったようである。
では、他の団体は何処へ行ったか?
国際プロレスのレスラーの団体崩壊後の流浪の旅は、これまでのシリーズで断片的に描いた通りで、あたかも一篇の叙事詩である。木村、浜口、寺西は、新日本との対抗戦と言う形で、収入、ファイトの場、オンエアへの露出を確保した。しかし、レギュラー化することは難しく、やがて分裂しそれぞれの道を歩み出した。井上、原は、タイミングはずれたが全日本の選手になる道を選び、それぞれに実力相応の活躍の場を得た。これには馬場の度量と言う物が大きかったかも知れない。マッハ隼人は一旦メキシコに戻ってから、第一次UWFに参加した。鶴見は全日本マットに上がったりもしたが、流浪の民になった。新日本に参加していたストロング小林は故障で引退。剛竜馬については書いたので繰り返さない。
さて、その馬場の全日本は馬場の死去後は、株主馬場夫人と、雇われ社長三沢の対立から最終的に分裂する。分裂と言っても全日本に残ったのは渕と川田くらい。これにOBである天竜がヘルプで入って、かつての国際同様に新日本との対抗戦に活路を見出そうとした。その後、新日本で凱旋帰国しながら中途半端な存在だった武藤が全日本へ移籍して全日本は新しい時代を迎えた。しかし、その全日本は2013年現在、再び新たな分裂を迎えて今後が危ぶまれている。
全日本から分裂したノアは、全日本の主力ほとんどを率いて地上波も全日本の枠を継承し、一時はメジャーと言える存在だった。しかし、全日本の遺産である四天王の時代が終わると次世代との間のタレントギャップに悩み、2009年にオンエアがなくなってからメジャーとは言えない状態に陥っている。
新日本からの分裂筋に当る橋本のゼロワンは、橋本の抗争相手だった小川の参加もあり、発足当初はかなり注目された。しかし、エース橋本の故障、資金繰りの悪化などから継続できなくなり、後継団体はあるがメジャーとはとても言えない。
ゼロワンの後に西村を軸に立ち上がった無我は、鶴藤長天の一角である藤波の参加もあり、顧問にゴッチを迎えて新日本黎明期を連想させる存在だった。しかし、当の西村が試合数不足を理由に離脱、藤波中心にドラディションと改名した。しかし、継続興行能力のある団体とは言えず、結局、「昔の名前で出ています」路線のレジェンドプロレスリングと言う特別単発興行を散発的に打つ存在となっている。
インディーは星の数ほどあるが、大仁田が発足して邪道路線でデスマッチの痛さが見えるプロレスを売りにしたFMW、地域密着型プロレスを志向したみちのくプロレス、メキシコマットとの連携で若手を売り出すメカニズムを軸としたドラゴンゲート、デスマッチを王道化することに成功してきている大日本プロレスなど群雄割拠である。レスラーの団体移動やフリーエージェント化も進み、誰がどこで何をしているのか体系的にまとまったストーリーを描くこと自体が難しい。逆に言えば、一定の知名度のあるレスラーがいてリングがあれば、プロレス興行と言うのは成立するのだとも言える。