ケンドーナガサキ亡くなる

71才だったそうです。

日本プロレスから全日本へ。しかし、アメリカマットで自立していたためか馬場から帰国命令もなくカミカゼレスラーの第一人者に。この時期に覆面レスラー、ドリームマシンとして全日本に複数回来日したとされている。

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ペインティングレスラーブームの折に落ち武者スタイルにペインティングをしたケンドーナガサキに。多くのファンには、このスタイルで記憶されている。

余談だが、ドリームマシンもケンドーナガサキも本家が別にいて、サクラダはそのコピー版である。

全日本に見切りを付けて新日本に接近し、新日本の若手が渡米すると面倒を見るようになり、後藤達俊武藤敬司のメンター的な存在だった。新日本マットにも上がったが、その時にも新日本では訳ありのポーゴとのタッグだったので、どこへ行っても鬼っ子扱いだったか。

巌流島決戦の前に猪木とシングルマッチをやり、仮想マサ斎藤と言われたのは尤もなのですが、桜田には失礼な話しでした。

その後、SWSに行って、そこからは多くのレスラー同様流転の人生となりました。大日本プロレスで、かつての盟友、小鹿社長の下で一花咲かせたので、ほかのレスラーよりは良かったかなと思っています。引退式をやっていなかったのでやりたいというような話しもあったそうですが、大日本の財政状況ではできなかったのでしょうか。