懐かしの昭和プロレス:まだ見ぬ強豪:ジェリー・ローラー

 食わせ者とまではいいませんが、日本マット、なかんずく新日本マットには合わなかった人の筆頭格。

 テネシーの帝王とも、活躍範囲を広げてからは南部の帝王とも言われました。現地での放送を見ると、アントニオ猪木の全盛時を彷彿させるような地元エースとして大活躍しました。「初物に弱い」と言われましたが、新しい悪役がやってくると、一度負けて見せて、たいへんな苦労の末にリベンジして追い出すというアメリカプロレスの典型的な手法を多用した都合によるものです。その初物の中に、初代キマイラとか、新日本の練習生だったダリル・ピーターソンとかもいました。みんなローラーに一度勝って箔を付けたのです。
 一度負けて見せる都合で、AWA南部ヘビー級王座の戴冠回数は実に52回にも及ぶそうです。記録を見ると、アラバマの帝王ロン・フラーとか、本家のドリームマシンとか、本家のケンドーナガサキとか、いろんな人に負けています(苦笑)。
 引退後は解説者として活躍し、筆者がNYに行った1999年には息子と共にNYでバリバリやっていました。実況のジム・ロスとの掛け合いは、もはや芸術の域に達していたと言うと褒めすぎでしょうか。ロスが放送席で襲われた時に、その報復のためにマットに上がってファイトしたりするのはWWF的にはお約束。必殺技のフィストドロップには、引退後でもキレも説得力もありました。まぁ、ファンも対戦相手も、「お約束としてウケている」のはもちろんですが。

 日本でのファイトはパッとしませんでしたが、英語のマイクアクションに対するリアクションが得られない非英語圏では評価のしようがない数多くのレスラーの筆頭格です。