ゲーム付きウォーゲーム雑誌のマーケティングの変容

1970年代のゲーム付きウォーゲーム雑誌の読者層と言うのは、往年のS&Tのイメージでは圧倒的に定期購読者が多数だった。
このため、各号の付録ゲームでハズレが出ても、それで売れ行きが極端に落ちたりすることはなかった。そのお陰でメーカー側は実験的な作品やマイナーテーマの作品を雑誌の付録ゲームで取り上げることができ、その中から新システムが羽ばたいていったり、マイナーテーマが日の光を浴びるようになっていった。そして、定期購読者の側も、そうした「新しいもの」を期待する部分が強かったと思う。
当時も「定番でプレイして確実に面白いもの」を求める層はいたと思うが、そういう人たちはボックスゲームになるのを待って、その中から気に入ったものだけ買っていたのだと思う。
簡単にまとめると、
●雑誌付録ゲーム:玉石混交いろいろなものあり、特に新システム、マイナーテーマなど実験色強し
●客層:新しいものを期待する層、なんでもプレイしたい層、定期購読者が多数派
▲ボックスゲーム:確実に売上げを期待できるテーマが中心
▲客層:年に数点、自分が是非ともプレイしたいゲームだけを選んで買う層

翻って日本の現状は?

ところが、2000年代の日本のゲーム付き雑誌の状況と言うのはかなり異なっている。往時のS&Tは試験的な射爆場のようなところで、その中で好評だったものはボックスゲームになっていった。
今の日本では、かなり好評でオークションで暴騰するようなもの以外はまずボックスゲームにならない。いや、むしろ往年のボックスゲームを雑誌の付録でリプリントするという逆コースの方が主流になってしまっている。
とすると以下のようなことが言えないだろうか?
●雑誌付録ゲーム:日本のウォーゲーマーの主力層、各号ごとに購入選択する
▲ボックスゲーム:ボックスゲームは輸入がほとんどで雑誌の付録ゲームと製品群としてはかなり別のものになってきている。客層は重なっているかも知れないが、買う側の意識としては別のものでは?
確かに同じウォーゲームではあるのだが、GJ26号を買って秀吉頂上決戦を手に入れるときと、GMTのコンバットコマンダーを手に入れるときとでは、かなり違った意識が働いているのではないだろうか。
それは、昔のS&Tを定期購読しているのと、その中からボックス化されたゲームを買っているのとの意識の違いとは、かなり異質なものなのではないだろうか。
結果として現状の日本のゲーム付きウォーゲーム雑誌では、読者層の期待に応えられない付録ゲームを付けると、その号の売れ行きはかなり低落するのではないかという気がする。バックナンバーの売切れ方を見ても、それがオークションで売られるときの価格格差にしても、往年のS&Tより激しい気がする。もちろんS&Tの場合は好評なゲームはボックスで売られてしまうのだから、暴騰しにくかったという事情も作用しているわけだが。
これに拍車を掛けているのが、「すごく良いゲーム」だと、予備を買う人がわたし自身も含めて結構いることだ。GJの「信長最大の危機」が出たときにはあまりに面白く、スリ切れたりユニットを紛失したりするリスクが恐ろしくてもう一冊買ってしまった。こうした傾向が人気の号の売切れを早めオークションでの暴騰の遠因の一つである気がする。しかも、最近はこういう人たちがブログで「これは面白い!」と煽ったりもしているわけだ‥(^_^; 「信長最大の危機」ほどに需要が高まるとさすがに再版されたが‥。
結果として「売れ線を上手に押し続ける」ような付録ゲーム戦略が毎号の売上げを確実に高く保つためには必要な時代になってきているのだと思う。GJはそこのところで一定の成功を収めている気がする。

しかしだからこそ

と言うことで先日の月さんのコメントはその通りだと思ったりするのだが、だからこそ日本語版コマンドを応援したいと思ったりもする。なぜかと言うと、雑誌の付録ゲームで実験的なアイテムが打てなくなってしまうと、ウォーゲームデザインの進化という面では大きなマイナスになると思うからだ。アメリカでは今もミランダがS&Tを昔の位置付けに近い形で出版し続けているが、それでも6号単位で歴史的にいろいろなジャンルをカバーするような設計をしたり、人気の出た作品はシリーズ化したりして、S&T全体としての魅力を保って定期購読者を減らさない努力が窺える。結果として、以前の彼ほどには突拍子もない作品、たとえば「サイバーノート」のようなものは出てきにくくなっている気がする。
だが、こうした兆候は長い目で見ればあまり良くないと思う。結局、人気のあるテーマ、人気のあるゲームシステムへの集中が進み、新しいものが出てきにくくなり、次には「見たようなゲーム」ばかりになってきてマンネリ化が進んでいくことが不安として存在する。
歴史は振り子のように往復するので、一時存在したGameFixのような斬新さを志向したゲーム付き雑誌がまた登場する日も来るのではないかと思うが、それは日本ででは難しいのかも知れない。結局のところ、日本語雑誌が相手にする日本のゲームマーケットが世界を相手にできる英語のゲーム雑誌のマーケットより小さいことが本質的な問題なのかも知れない。
種の多様性を確保するためには世界は一定以上の大きさが必要だということを感じさせられる。「アメリカンメガファウナ」でもプレイしてみようか。