B級SFゲーム分科会の時代 その3

話しが前後するが分科会創設の1年ほど前の1997年の暮れに、「ゲームジャーナル」と言う雑誌からトレーディングカードゲームについての記事をお願いしたいという話しがやってきた。
丁度、マジックザギャザリングが一世を風靡し、その後、様々なトレーディングカードゲームが雨後の筍のように登場している時代だった。ニフティサーブのFGAMEでも特設会議室が設けられた。
ゲームフォーラムのメインコンテンツは、20個まで設置できる会議室と呼ばれる掲示板だった。特に発言が多かったのは5番と言われる一般ゲームの会議室と、7番と言われるウォーゲームの会議室だった。これらは常設会議室と呼ばれ、発言数が所定の数に達すると隣接番号に新会議室を設置し、古い会議室はログ倉庫に格納された上で新設会議室を正規の番号に移動していた。
それとは別に臨時に旬の話題を語り合うために作られるのが特設会議室だ。草場師匠と、そのトランプの師匠である赤桐さんが参加してきたときには、トランプゲームの話題が一気に沸騰してトランプゲームの会議室が作られた。
ウォーゲーム関係ではASLの発売時期だったことから、この電話帳のように分厚いルールブックを読んで語り合うASL勉強会というのをやったりもした。
サブシスの仕事は会議室ログの管理もあるが、メインはこうした会議室が常に発言で賑わうように呼び水になる発言をしたり、旬の話題が膨らんできたら特設会議室の設置を考えたりということだった。
ASL勉強会や、トレーディングカードゲーム会議室の時には、他のスタッフが伝統ゲームやユーロゲームよりだったこともあって、わたしが中心になっていた。
そんなこともあって、
トレーディングカードゲーム会議室では積極的に発言していたのだが、それに目を付けてゲームジャーナル編集部さんから依頼をいただいたのだろう。