B級SFゲーム分科会の時代 その2

自分のサイトを開く‥と決めたが、どうもサイトと言うのは定期的に更新しないといけないらしい。
そうすると、自分が日常的に継続している活動をベースにするしかないので、ゲーム関係のサイトにすることにした。
当時既に越田先生はKOSのウォーゲームページを開かれていたし、HAL99さんもザゲームギャラリーを立ち上げられていた。と言うことで、ウォーゲームもユーロゲームも日本語のサイトがあって、それなりの方がやっていた。
と言うことで、守備範囲を思い切り狭く絞ってSFゲームだけに限って構想することにした。
それがB級SFゲーム分科会の始まりであった。1999年の2月頃の話しだ。
最初にオープンする時にあまり陳腐でもいけないというので、最初のオープンコンテンツとしてゲームレビューを18件ほど書き溜めてからオープンした。越田先生、HAL99さん、名古屋でバネストを始めていたバネスト君などにリンク依頼をお願いして、一日に十数アクセスくらいからスタートしただろうか。ヤフーなどへの登録依頼も書いたはずだが、一向に登録されなかった。それ以来、わたしはヤフーが好きではない。結局はゲーム仲間のサイトからのリンクが主導する形でアクセスが増え始めた。やがてアクセス数が毎日200件を越えるようになったあたりで、それなりの構えになった。
GOOGLEが登場してきたときに、そこらへんの新技術に敏感な越田先生が自身のサイトで、「ウォーゲーム」で検索したらKOSのウォーゲームページが先頭で出てくるというのを話題にされたことがあった。丁度、その頃に同様に「SFゲーム」で検索すると「B級SFゲーム分科会」も出るようになり、二人で喜んでいたりしたものだ。