承前
●ジョン・レイノルズ
ここでミードについて語るのが順番であるが、その前にミードより先任であったレイノルズについて語っておこう。レイノルズは、ウェストポイントを50人中26番目と言う凡庸な成績で卒業している。
ゲームの第1ターンである6月3日に、リンカーンはレイノルズと会談した事実がある。推測ではあるが、リンカーンはレイノルズに後任司令官を打診したと考えられている。これに対して、レイノルズは受諾に当っては政治的状況に左右されない軍事的なフリーハンドを要求したと考えられている。これはリンカーンには受諾できない条件であったため、レイノルズは候補者から外れたと推測されている。
レイノルズは、半島戦役のビーバーダムクリークや、その後の第二次ブルランで活躍しており、同僚や部下の評判が非常に良かった。したがって、レイノルズを後継候補として考えたのは単に先任順位であったかも知れないが、妥当な選択だったと考えられている。しかし、この選択は実らなかった。
南北戦争の全体を理解している我々の後知恵では、政治的な状況と、軍事的な成果を分離することは、この戦争ではできなかったと知っている。奴隷解放宣言も、1864年の大統領選挙も、軍事的な成果と切り離しては考えられない。
レイノルズは、ゲティスバーグ会戦の初日に戦死してしまう。この話しは、また後で出てくることになる。