アクロスザポトマックへ向けて:ミード

bqsfgame2009-12-25

承前

●ジョージ・ミード

ミードはウェストポイントを19位という平凡な成績で卒業している。米墨戦争後は、灯台の設計などに携わっていた土木技師であった。
ミードは下級指揮官として優秀だったが、戦場での負傷もあり、それほど出世が早かったと言う訳でもなかった。フレデリクスバーグの戦いで北軍唯一の成果を挙げたことから浮上してきたと考えられる。
フッカーの辞任が急に受諾されたとき、ミードは突如として司令官の辞令を受けることになったが、本人は何事か理解できず陰謀により逮捕されるのではないかと思ったという。
交代時期はリーの二度目の北部侵攻の真っ最中であり、就任直後にゲティスバーグ会戦を迎えることになる。
ゲティスバーグ会戦の初日に、防御の要の位置にいたレイノルズが戦死することとなり、この危機に当ってミードは実務レベルでもっとも優秀だと思われるウィンフィールド・ハンコックを投入する。ハンコックは兵の士気を高め、適切な防御陣地を構築して南軍の攻勢を受け止め、会戦の三日目にはピケットの無謀な突撃を引き出して南軍に大きな打撃を与えることに成功した。
こうしてミードは南北戦争最大の会戦の勝利を得ることとなった。
しかし、その後は西部戦線から転任してきたグラントの下に入ることとなり、グラントに実務能力を認められてポトマック軍の指揮を任され続けたものの、政治的には成功することなく終わった。