オリバー・ハワード将軍

bqsfgame2013-07-14

テネシー軍司令官のハワードって誰?と言う疑問を調べてみた。
調べてみると、それなりの有名人だった。セブンパインズの戦いでは旅団長で、この時の負傷で右腕を失った。戦闘レベルで有名なのはゲティスバーグの初日に敗走した2個軍団の一つ第11軍団の司令官だったことである。ハワードは、ダブルデイの第1軍団が敗走したので止むをえなかったと主張したが、どうやら真相は逆らしい。ダブルデイは戦闘中に戦死したレイノルズの代理だったので、そこに責任を押し付けようとしたらしい。
戦後も軍に残りインディアン戦争に参加したが、こちらでも評判が悪く高圧的な態度で臨み無用の流血を招いたのではないかと言われる。
文才があったらしく、数冊の著書を残している。退官後は教育関係に進み、解放奴隷の教育機会を広げる活動をしたことで評価され、大学名(ハワード大学@ワシントンDC)に彼の名前が残っている。
余談であるがウェストポイント卒業生で、席次は4位だったと言うから秀才だったのだろう。