アクロスザポトマックへ向けて:ハンコック

bqsfgame2009-12-26

承前

●ウィンフィールド・ハンコック

南北戦争においては、司令官の地位に至らなかったものの実務レベルの指揮官として非常に優秀だったものが何人かいる。北軍においては、その代表例はウィンフィールド・ハンコックであろう。
ハンコックのニックネーム、「極上のハンコック」は半島戦役での活躍を評してマクレランが付けたものである。その後、ポトマック軍の司令官は次々に交代したが、ハンコックに対する信頼は常に厚いものがあった。結果として彼はゲティスバーグの会戦において、もっともホットな戦場、セメタリーリッジを守るという使命を与えられ、それを果たしたのである。
その後も、グラントのオーバーランド戦役でも活躍し、終戦まで従軍した。グラント、ミード、ハンコックというラインは、ずっと維持されたのである。
終戦後の1868年の大統領選挙では、民主党の候補として名前が浮上した。しかし、非常に優秀な政治家として知られたシーモアニューヨーク州知事に敗北している。ちなみに、この選挙は共和党のグラントが勝利した。
1872年に、グラントの政治家転進後、陸軍の最高責任者となっていたミードが死去し、ハンコックはその後継者となることになった。1876年の大統領選挙では、民主党予備選挙でティルディンに敗北。1880年の大統領選挙は、ハンコックにとって最大のチャンスとなった。ヘイズ大統領は引退を表明し、前回民主党候補者のティルディンも健康悪化で辞退していた。ついに民主党候補となったハンコックは、共和党候補のガーフィールドと史上稀に見る大接戦を演じたが、残念ながら敗北した。
ハンコックは南北戦争では上級司令官ではなかったにも関わらず、いくつかの小説で重要な役回りを演じるように描かれている。また、その映画化作品でも魅力的に描かれている。軍事的な評価も高く、戦後の政治家としてのピックアップのされ方からしても魅力ある人物であったと想像される。1886年、彼は陸軍の現職のまま死去した。
最後になったが、ハンコックはウェストポイントを18位で卒業している。ただし、この年の卒業生は25人しかいなかったので、彼は成績的には揮わなかったと言える。しかし、学校での成績は社会の実戦での成果と連動しなかった。