NWA王者レイス(つづき)

初来日当時のレイスは線が細く、彼がNWA王者になったと聞いて当時の日本のファンは意外がったと言う。
筆者は全盛期以降しか知らないので、殴られ強く、背筋力が強くて巨漢もブレーンバスターで投げ、ここぞと言う時にしか見せないトップロープからのダイビングヘッドバッドには必殺力があったと言う印象を持っている。彼もまた大団体のチャンピオンとして遠征先では地元の英雄を立てて悪役を演じるダーティーチャンプだったので、その実力を過小評価している人もいるかも知れない。
しかし、ジャイアント馬場の至宝であったPWF王座を帯広で奪った時の試合の迫力は素晴らしかった。馬場が伝家の宝刀であるランニングネックブリーカーを投入しながらも勝ち切れず、最後は馬場の河津落としを空かしておいて、コーナートップからのダイビングヘッドバッド。動作こそゆっくりしていたが、頭から逆さまに落ちるように馬場の鎖骨へ向って落ちて行き、これは文句なしにピンフォールと言う説得力のある勝ち方だった。
また、垂直落下式ではないが力強いリフトアップで安定したフォームのブレーンバスターも印象に残っている。
当時のアメリカプロレス団体では、同じ団体内では同じ必殺技を使うのは禁止だった。このためダイナマイトキッドが全日本に移籍してきた時に、レイスはダイナマイトキッドがダイビングヘッドバッドと高速ブレーンバスターを使うのに不満だった。これがキッドが全日本で思ったほどに活躍できなかった一因になったとも言われている。
同じようなことはWCWにブレット・ハートが移籍した時に、当時のエースだったスティングと必殺技のシャープシューターがかぶった時にも起こった。普通は格下のレスラーが新しい必殺技を開発して避けるのだが、この時はハートはWCWでは新参者だがレスリングキャリアとしてはスティングより格上なので微妙な空気が流れたまま両者がシャープシューターを使い続けていたと記憶している。