ビル・ロビンソン死す

bqsfgame2014-04-01

75才でしたか。そうですか時代を感じます。
国際時代は知りません。新日本に一度だけ登場してきたシリーズでの、伝説の猪木戦はリアルタイムで見ていました。普段の試合と全然違う雰囲気で、ちょっとした関節の取り合いにも真剣勝負的な気合の応酬が感じられて、子供心にも凄いと言うより怖いと言う感じがしました。
ロビンソンの高速低空のダブルアームスープレックスは、ドリーに代表される「ヨイショ」と持ち上げて一応は相手の背中から落とす物と全然違う技だと言う凄みがありました。そのダブルアームスープレックスの凄さを再び感じさせてくれたのは、ローラン・ボックだけでした。見たことのない人に説明するならば、ダイナマイト・キッドの高速ブレーンバスターをダブルアームスープレックスでやるんだと言えば、なんとなく伝わるでしょうか?
ゴッチとの夢の対決は日本で実現しましたがドロー。アメリカでの格を考えればロビンソンが上と言う意見が多いようで、新日本の大恩人であるゴッチを傷つけないブックだったのではと言われます。私見でも、ロビンソンの方が技の引き出しが多い印象を受けたので、もし勝敗が付くならばロビンソン乗りかなと思います。ゴッチ信者には申し訳ありませんが、ゴッチのプロレスには生硬さが抜けないように思うので。
ヴァーン・ガニアが、わざわざAWAで大英帝国ヘビー級なる王座を新設して処遇したのですが、長い目で見れば斜陽のAWAで引き留めたのはロビンソンにとって正解ではなかったように思います。では、WWFに行って成功したのかと言うと、それも自信が持てない所です。当時のWWFはシューターが受ける空気ではなかったと思いますから。
事情は不明ですが、新日本を1シリーズだけで離脱して、その後は全日本へ。
意外ですが、外人で、馬場のPWFと鶴田のUNの両方を締めたことがあります。もっともPWFは、カマタからの奪取ですが(笑)。
一時は高円寺に住んでいたそうで、日本贔屓だったそうです。日本の昭和プロレス三団体を全て渡り歩き、国際と全日本では主要王座を一通り締めました。その意味では、AWAと共に日本マットもロビンソンの第二の故郷だったのかも知れません。
ご冥福をお祈りします。
テーズ、ゴッチ、ロビンソン。当時のメジャーチャンピオンであったバディ・ローズ、ビル・ミラーなど、みな鬼籍に入りました。健在なのは、ヴァーン・ガニアくらいでしょうか。現在、95才だそうです。そう考えると、ロビンソンの死は早すぎるとは言えないのでしょう。
ちなみに画像はワンハンドバックブリーカーで、人間風車ではありません‥(^_^;