中日ドラゴンズの主砲として長く活躍した大島氏が亡くなりました。
ガンの闘病についてはご本人のブログで拝見しており承知していましたが、ついにこの日が来てしまったかと言う印象です。
巨人のV10を阻止した与那嶺中日で、故障した島谷に代わって三塁手としてブレーク(その前年は代打本塁打7本で活躍)。その後は外野手、さらに一塁手と守備位置は変わりましたが谷沢健一と中日を支えました。
近藤監督に請われて日本ハムに移籍して最後の一花を咲かせ、日本ハムで監督に。
それよりも記憶に残るのは第1回WBCの打撃コーチとして世界一になったことです。
ちなみにこの時の監督が王貞治でした。
大島は二千本安打も三百本塁打も達成していながら一度もベストナインに選ばれませんでした。理由は最盛期の一塁手時代に王貞治と時代がかぶっていたからです。特に1979年にはすべての記録で王を上回りながら受賞できず、他ならぬ王選手から「これでは大島がかわいそう」とコメントされたほどでした。
本塁打王も取りましたが山本浩二との同成績で、本塁打王でもベストナインに入れませんでした。
そういう意味では不遇の人だったと思うので、WBCでメダルを受け取った時には本当に良かったと長年の中日ファンとしては思いました。
期せずして、本件にひし美ゆり子さんもコメントを寄せられていて意外な繋がりを認識しました。