ルイ・ナポレオンのメキシコ出兵

 俗に「風が吹けば桶屋が儲かる」などと申しますが、思わぬ所でウォーゲームと言うのも繋がっているものでございます。

 ことの始まりは、千葉会で「チリ‘73」なるマルチをやろうと人を集め始めたことにあります。そうしたら、なんとラテンアメリカンな人から、ではこれは?と言って逆提案されたのが、お仏蘭西の雑誌の付録ゲーム「L'Aventure mexicaine 1862-1867」でございます。

 メキシケーネというくらいですから、メキシコが舞台なのはわかりますが、年号を見ると正にアメリ南北戦争の裏番組です。

 ちょっとウィキペディアを紐解きますと、「ルイ・ナポレオンメキシコ出兵」という事変があったのだと判ります。

 メキシコの独立は某誌の「Guerra a Muerte」に描かれている中南米諸国独立戦争の一つであり、彼のゲームも正にメキシコの独立運動蜂起から始まります。以来、メキシコは独立の中心となった教会派と、自由主義派が鬩ぎ合いますが後者のフアレス政権は反カトリック(スペイン、フランス)を打ち出し、フランスやスペインに対する借款の返済停止に打って出ます。これに怒ったルイ三世はメキシコへ出兵するのですが、ジャングルと熱帯病に悩まされ大苦戦。当初はともに参戦したスペイン、イギリスが脱落してしまった後もメキシコ制圧に執心し63年夏にようやくメキシコシティを制圧しました。

 ちなみに同じ某誌には「サボテン玉座」というタイトルで、このテーマのゲームが出ていました。そうか、同じテーマなんですね。認識できていませんでした。

 制圧後にプロイセンを引き込んで皇弟マクシミリアンをメキシコ王に立てるのですが、現地の猛抵抗に合います。それでも駐留フランス軍は頑張っていたのですが、南北戦争が終わったアメリカが大陸からの欧州勢力排除のためにメキシコ側に武器輸出を強めると守り切れなくなり撤収。結果として見捨てられたマクシミリアンは銃殺されてしまいます。フランスとドイツはいつの時代も仲が悪いのですが、その端緒は此処にあるという意見もあるようです。

 そうか、スペインとフランス、フランスとドイツ(プロイセン)、アメリカとフランス、アメリカとメキシコの色々な関係を理解する上で意外に重要な戦争だと言うことが判りました。これは、確かに一度はプレイしなければラテンアメリカンゲーマーを名乗れないかも知れませんね←大袈裟。

 そして、この失敗は、プロイセンとの関係を損ね、フランコプルシアン戦争へと繋がりフランス第2帝政の終わりの始まりになるわけです。