なつかしの昭和プロレスラー:坂口の前に

bqsfgame2012-01-29

なつかしの昭和プロレスラー日本人編も1942年世代に。
42年生まれの代表選手に坂口征二がいるのだが、その前に坂口の柔道時代のライヴァルだったヘーシンクの話しをして置くとわかりやすくなるだろう。
アントン・ヘーシンクは、東京オリンピックの柔道無差別級で日本の神永を破って金メダルを取ったことで非常に有名な選手だ。
地元東京のオリンピックで、お家芸の柔道、それも柔道は本来重量制ではなく無差別級こそ柔道の王道とされた時代に、無差別級で日本代表が敗北したのだ。これは、当時の日本人にとっては衝撃的な出来事だったと言われる。
ヘーシンクはオランダで柔道を始めたのだが、日本でも定期的に練習をしていたこともあり、その意味では純然たる外国選手とは言い難いところもあった。しかし、TVで見ていた日本人にとっては、そんなことは意味がなく、ヨーロッパの巨人選手に日本代表が負けて金メダルを譲り渡したと言うことでしかなかった。
勝利した瞬間に土足で畳に上がろうとしたコーチらを制止して礼をして退出するなど柔道の礼を守ったことが、事態が落ち着いてからヘーシンクの評価に加わった。
また、ヘーシンク自身のコメントなので割り引かざるを得ないが、ヘーシンクが勝ったことで柔道が東京オリンピックだけのご祝儀ローカル競技に終らず、オリンピックの正式国際競技として成長したと言う側面は確かにあるだろう。今ではオリンピックの重量級や無差別級で日本人選手が負けるのを見るのは、それほど珍しいことではなくなってしまった。その出発点はヘーシンクにあった。
しかし、欧州柔道界には引退後のポストがまだなかったためか、ヘーシンクは後に全日本プロレスにレスラーとして登場することになった。ジャンボ鶴田とUN選手権を戦ったと言うから、それほど大過去の話しでもない。
いずれにせよ日本の柔道を最初に切り崩した大男がヘーシンクであり、それは当時の日本のスポーツファンにとっては昭和の黒船とも言うべき存在だった。