結果としてローマ軍は、次なる大会戦のザマに向けては、カルタゴのイベリア半島領土を奪い、さらにそこから北アフリカに渡り、そこにあった強力な騎兵を擁するヌミディア王国を調略することになります。
その結果、ザマでは逆にローマ軍が両翼の騎兵兵力では優越する状態で戦うことになります。
そして、ハンニバルはこの背水の陣の戦いでは、カンネーでとは逆に中央の歩兵による突破を試み、ほぼカンネーとは逆の状況になって敗北することになります。
このゲームの価値を誤解させる危険を承知で言ってしまうならば、古代戦の会戦の多くは、実際に戦術レベルで剣を交えるよりも先に、どれだけの兵力を動員して、何処で戦うかを設計することで勝敗が決している部分が少なからずあるのでしょう。
カンネーで優勢なハンニバル軍と決戦をすると言う選択をした時点でローマは間違っており、そこにハンニバル軍と互角に戦える騎兵兵力を集められなかったこと、カルタゴに匹敵するコマンドコントロールを準備できなかったことこそがローマの敗因であり、実際の戦場に至ってからの機動の失敗で負けたわけではなかったように思います。
これはポエニ戦争史を評価する様々な文献と意見の一致するところであり、その意味でSGBOHのカンネーは良く出来ていると言って良いと思います。
しかしながら、競技ゲームとしてローマ軍の勝機を求めるのはなかなかに難しいかも知れません。