パルティア

bqsfgame2012-08-09

マルクス・アウレリウスから、カラカラ帝までの時代と言うと、東方の敵はパルティアです。
パルティアは、東北イラン地域に存在した騎馬民族の古代王国。セレウコス朝シリアの衰退により独立しましたが、初期には目立たない存在でした。トラヤヌス帝の東方遠征(第5次パルティア戦争)で首都クテシフォンが陥落し、ローマ帝国最大版図が実現した史実から古代史の表舞台に名前が登場してきます。
続く第6次パルティア戦争では、マルクス・アウレリアス帝のローマ領へ侵攻、ローマでの天然痘の流行もあり一時は首都を奪回しました。
マルクス・アウレリアスの後、混迷したローマは、セヴェルス帝が新王朝を打ち立てて沈静化、再びクテシフォンを陥れました。(第7次パルティア戦争)
3世紀に入って、今度はパルティアの継承混乱に乗じてローマのカラカラ帝が侵攻、しかしパルティアはこれを撃退しました。(第8次パルティア戦争)
トラヤヌスからカラカラまでの時代、ローマはパルティアと戦い続けたのです。
イランにあったと言うと、なんとなくイスラム系国家かと思いますが、イスラム教が普及するより前の時代の話しですから、当時はゾロアスター教系列の国です。
歩兵中心のローマ軍が、なかなかパルティア相手に決定的な勝利を収められなかったのは、パルティアが強力な騎兵を擁していたからだと言う説が有力なようです。
ただ、遊牧民国家にありがちですが資料が少なく、いろいろと謎に包まれた古代王国の一つだそうです。