スレイマン1世の時代

bqsfgame2013-04-10

ATO誌の「ラッシュオブターク」を消化しようと思い立ったが、背景史に疎いのでにわか勉強してみた。
レイマン1世は、「大帝」と呼ばれるオスマン帝国最盛期をもたらした君主である。1521年にハンガリー帝国の当時の首都ベオグラードを征服。続く1522年には知名度の高いロードス島聖ヨハネ騎士団から奪取した。
1526年にモハーチの戦いでハンガリー軍を撃破しラヨシュ2世を討ち取った。空位となったハンガリー国王に自分の傀儡を置くことを目指し、同じ王位を目指したオーストリアと敵対した。
かくて起こったのが第一次ウィーン包囲である。
と言うことで第一次ウィーン包囲は、ハンガリー王位を巡るオーストリアオスマン帝国の争いであるが、実際にはハプスブルグ家によって支配されるカソリック欧州と、イスラム世界との対立の側面を強く持っていた。欧州側から見れば、欧州世界がイスラム世界にもっとも脅かされた時代のハイライトと認識されている。
オスマン帝国は世界史の中でも大きな存在であり、その伸長期には多くの戦いに勝利している。しかし、ことウォーゲーム的にはあまり脚光を浴びておらず、日本のウォーゲーマーの間での知名度は低いと言わざるを得ない。理由として、そもそもウォーゲーム自体が基本的にはアメリカで発達してきたことがあり、アメリカから見てオスマン帝国の戦いが関心の薄い題材だと言うことがあるように思う。
また、オスマン帝国と戦った当時の欧州世界自体がカソリックと新教が争う宗教戦争の時代にあり複雑な状況にあったことも理解を難しくしている。
破竹の勢いだったオスマン帝国だが、この第一次ウィーン包囲は戦術的には失敗に終わった。しかし、この戦いで結果としてオスマン帝国は既に得ていた欧州領土を事実上確保することとなり、戦略的には大きな勝利の最後不手際の一幕だったとの見方もある。
オスマン帝国が明確に退潮に陥るのは1683年の第二次ウィーン包囲の失敗からであるが、ヨーロッパの病人と揶揄されながらも第一次世界大戦の東部戦線でも大きな存在感を残すなど20世紀に至るまで存続した。支配地域と存続期間の積で国力を議論するなら、彼のローマ帝国を別格とすれば、オスマン帝国は第1級の超大国であることは疑いない。もう少しオスマン帝国にウォーゲーム界の陽が当たっても良いのではないかと思う。
S&Tでは、ミランダ編集長が、オスマンの台頭と、オスマンの黄昏と言うゲームを出しているのは周知の通り。筆者は両方ともプレイしたが、どちらも合格点のゲームだと思う。しかし、他にプレイしたと言う話しをあまり聞かないのは残念である。
ちなみにシナリオが4本もあるゲームで、一つのキャンペーンと、それの部分と言う作りではなく、それぞれ独立したゲームになっている。
1526:モハーチの戦い、1529:第一次ウィーン包囲、1532:第二次オーストリア遠征、1683:第二次ウィーン包囲の4つである。