南北戦争中の南軍の軍

プライスオブフリーダムの話しの続き。

北ヴァージニア軍
言わずと知れた東部戦線の主力軍。
最初の指揮官はボリガード将軍で、第一次ブルランを戦った。
次の指揮官はジョー・ジョンストンで、マクレランを半島戦役で迎え撃ったがセブンパインズで重傷を負って退く。
此処で登場したのがロバート・リー将軍。七日間の戦いから指揮を執り、以後、第二次ブルラン、アンティータム、フレデリクスバーグ、チャンセラーズヴィル、ゲティスバーグ、さらにオーバーランド戦役、リッチモンド戦を経てアポマトックス戦役まで戦い抜く。南北戦争の東部戦線はリー将軍の一代記のようなものだ。

テネシー
南軍の中央部の主力軍。
ブラッグの印象が強いが、最初の指揮官はアルバート・ジョンストン。シャイローで無名時代のグラントと戦って奮戦したが戦死。
次がブラッグで、彼は別名ハートランド(中央)軍の名で呼ばれるテネシー軍の戦った著名な戦いのほとんどを指揮した。マーフリーズボロー、コリント、タラホーマ、チカモーガ、チャタヌーガ。チャタヌーガの敗北の後、ブラッグは解任された。
代わりに登場するのがもう一人のジョンストンこと、ジョー・ジョンストンである。彼はアトランタ戦役の指揮を取ったが後退を繰り返してデービス大統領を失望させ解任された。
フランクリン、ナッシュビルの指揮を執ったのは、リー将軍に「勇敢だが上位の司令官になるには決定的に欠けている物がある」と酷評されたフッド将軍である。CWBの問題作である「エンブレイス・アン・アングリー・ウィンド」はフッドの指揮の問題点を中心に展開する。ナッシュビルで事実上テネシー軍は軍としての機能を失い、もはや再編成されることもなかった。

ミシシッピ
南軍の西側の軍としては、ミシシッピ軍と言うことになろうかと思うのだが、今回初めて認識したのだが、これは連続した一つの編成ではなく、断続的な3つの編成が同じ名称を使っている。
最初の編成はボリガード将軍指揮下で、別名ずばり西部軍。すぐに、アルバート・ジョンストンに指揮が代わり、テネシー軍と共にシャイロー戦に参加している。ジョンストンが戦死してしまったので、ケンタッキー軍、ルイジアナ軍と統合した上でブラッグを指揮官とするテネシー軍に衣替えした。
その後、これとは別に新たに編成されたミシシッピ軍が、ペンバートン将軍が率いる別名ヴィックスバーグ軍。もとは西テネシー軍と東ルイジアナ軍から成ると言うのだが、いつから何処にそんな編成がいたのか筆者には良く判らない。南北戦争資料が豊富なアメリカでなら調べが付くかと思うが日本ではギブアップ。別名の通りにヴィックスバーグ戦でグラントに撃破されてしまう。
最後の編成はテネシー軍の第3軍団を分割して軍として、前述の撃破された軍の名称を使った。編成時の指揮官はハーディーだったらしいが、アトランタ戦役ではテネシー軍から左遷されたポークが指揮していた。アトランタ戦役でポークは死亡したので、後任が置かれたはずだが組織としての命脈も此処で事実上尽きていたと思われる。
物量で後半を押した北軍に比べると、南軍の軍は少ないのだが、それでも聞いたことのないような軍がいくつもある。とは言え、南軍の場合は概ね東西と中央の3つの軍編成で整理して良いのかなと言う印象を確認することができた。ミシシッピ軍はテネシー軍よりも組織としては存在が不安定なので、二つの軍で整理するなら北ヴァージニア軍とテネシー軍と言うのが妥当か。