似て非なる名将 落合博満と野村克也を読む

雑誌「number」の1058,1059合体号です。

野球の名監督本と言うのは非常に良く売れるようです。

現代社会において一国一城の主として全権を揮い、その決断とアウトプットが多くの人の目に見えるからでしょうか。

一冊まるごととまでは言いませんが、かなりの部分を両指揮官の比較で埋めています。

野村のヘッドコーチを務めた橋上秀樹、野村ヤクルトから落合中日へ移籍したエース川崎憲治郎、落合の参謀だった森繫和など、非常に的確な人たちにインタビューしており、読み応え十分です。

第2パートの「語る力と、語らぬ力」はタイトリングも良いですが、それだけに中身も非常に興味深いです。このパートでは、中日の井出球団代表と、阪神楽天で野村の下で広報を担当した嶌村が登場します。

井出の証言で、「落合は先ずルールを研究した。そして、ルールでできることの中で自分が勝つために使えるものは全部使っていた」と言うのがあって面白く読みました。野球は普及度の高いスポーツの中では異常にルールが多い競技です。特に「飛ばないボール」を最初に積極的に活用したのは落合だという証言はなるほどと思いました。

「飛ばない」サンアップ製ボールを登録し、それを巨人戦に使用した。ルールで巨人戦だけに狙い撃ち使用できないことを把握してヤクルト、横浜戦にも使用したのだそうです。

登録したボールは主宰試合の1/3以上に使用しなければならないというルールがあったからだそうです。そんなルールがあったとは初耳でした。

また、落合が自分から話しかける相手の監督は、野村以外には王さんと梨田監督だけだったと言いますから、これもビックリです。他の監督は落合から見て野球談議を深めるに足る相手ではなかったということでしょう。

野村はそうした落合に対して「話すのも監督の仕事だから、おまえはもっと話さなきゃいかん」と言っていたそうで、それに対して秘密主義をもってマネージメントに当たっていた落合は最後までのらりくらりと受け流していたそうです。これもいかにも落合らしいと思いました。

両監督と戦った岡田、伊原などの監督のコメントも面白いです。

特に岡田監督の、荒木が一塁に出たら投手に牽制させて落合の表情を観察する話しは非常に面白かったです。何度も牽制してやると、盗塁を諦めてエンドランに切り替える。その時に少し口元が緩むというのです。

二人とも自身が活躍した球団を追われて外様球団で最後は引退しました。

野村は西武で代打を出され、代打が併殺打を打った時に「ざまぁみろ」と思った自分が、もう野球人としては失格だと思って引退を決意したと言います。

その野村は、清原をFAで取った巨人から追われた落合の姿を見て、南海を追われた自分を重ね見たと言います。

同じ三冠王でありながら、球団の貢献者として最後まで処遇してもらえなかった二人は、指導者として最強になることで球団を見返したのでしょうか。親球団の不遇が二人の名将を生み出したのだとすれば、なんとも皮肉なものです。