☆汝、星のごとくを読む

 昨年の本屋大賞です。

 受賞が決まった当日に図書館に予約しましたが、既に予約順位が200番台。
 図書館では分館も併せて10冊も入れてくれたのですが、それでも20週以上待ちですので、一年待ちでした。
 感想としては圧倒的でした。「カラマーゾフの兄弟」もそうですが、読書とは時に辛く苦しいものです。そのことを徹底的に思い知らせてくれるような転落譚です。
 瀬戸内の高校生カップルから始まるのですが、二人ともいわゆる毒親を持っており島から離脱しようとします。なんか「全てはNのために」みたいです。
 青埜櫂は、マンガ原作者として成功して連載を持って東京で一定の成功を収めます。しかし、井上暁海はどうしようもない母親を捨てることができず島に残ります。それでも大学生時代の夏休みは高円寺の櫂のアパートに夏休み同棲して過ごしたりしていたのですが、結局、二人の間には溝が生まれ、溝は越えられないクレヴァスに成長して二人は別れてしまいます。
 この辺は序の口です。櫂のマンガのパートナーである尚人はゲイで、しかも相手はまだ高校生です。真剣な交際でありきちんと両者合意の上で二人は結ばれましたが、週刊誌は売れっ子漫画家のスキャンダルとして面白おかしく取り上げ、結果は大炎上となり二人の連載は打ち切り、既刊は絶版に。
 折悪しく、そんな時期に暁海の母親が何度目かの本物の恋を見つけ店を出す資金を無心して来ます。暁海は、こんなことを頼めた義理ではないのを承知で櫂に借金を申し入れます。
 暁海に未練を残していた櫂は、なにも聞かずに300万を無担保で貸し返済不要と言います。しかし、頑固者の暁海は仕事と副業の刺繍と母親の世話で押しつぶされそうになりながらも毎月の返済を続けます。
 スキャンダル後、復帰の見通しも立たない櫂は自堕落な暮らしを東京で続け、同じアキミという名前の愛人の所に転がり込みヒモ暮らしを始めます。そして、毎月の通帳の入金の一行だけの繋がりにいつまでも未練を繋ぎます。
 ここまででもかなり悲惨なのですが、作者はさらに苛烈な運命を描きます。
 荒んだ暮らしを続けていた櫂は、吐血し胃癌のステージ3を宣告されます。
 かつての二人の恩師で理解者である北村先生と、互助会的に結婚した暁海でしたが、この話しを聞いて折角つかんだ幸せを手放して再び東京へ。
p257
 一軒家を改装した「日だまりホーム」には、五十代から六十代の女性ばかり八人が暮らしている。ケアはまだ必要ないが独居は寂しい、誰かと助け合っていくことで充実した毎日を送ろと言う中高年層向けの民間ホームで、希望者は近所の農園でパートをして収入を得ることもできる。
「シェアハウス? 本気なの」
 数年前から引っ越したい、島を出たいと言っていた。小さなコミュニティ内でずっと「夫に捨てられたかわいそうな人」という目で見られ続けることに母親は疲れ果てていた。けれどお金や体調のこともあり、実現は難しいと思っていた。
p262
「足りない者同士、ぼくと助け合いませんか」
「結婚と言う形を取れば、ぼくはきみを経済的に助けられますよ。」
 確かに、わたしの不安や不満の多くは金銭的なものだった。けれど、じゃあわたしは北原先生のなにを助けられるのだろう。わたしとの結婚でどんな良いことを得るのだろう。
「これから先の人生を、ずっとひとりで生きていくことがぼくは怖いです。
「先生には結ちゃんがいるじゃないですか。」
「子は子、親は親です。付属物のように考えると悲劇が生まれます。」
 そのとおりだった。わたしもその悲劇に巻き込まれたひとりだ。
p265
 八月、わたしと北原先生と結ちゃんの三人で今治の花火大会を観に行った。結ちゃんは松山の大学に進学し、将来は公務員になると言っている。いざというときひとりでも生きていけるから、というのが理由らしい。
「結ちゃんは、ひとりで生きていくつもりなの?」
「ううん。ひとりでも生きていけるようになりたいだけで、ひとりはいや」
 あっけらかんと返され、そりゃそうよねとわたしは苦笑いを浮かべた。
p268
「暁海ちゃーん」
 ふいに名前を呼ばれた。あたりを見回すと、人混みの中から薄紫の浴衣を着た櫂のお母さんが駆けてきた。驚いていると、久しぶりやねーと嬉しそうに手を取られた。
「元気にしとる? 何年ぶりやろ。なんや昔より綺麗になったねえ」
 取られた手をぶんぶん上下に振られ、うなずき返すしかできない。
「櫂と別れてもう何年? ほんまにアホな子でごめんなあ。あの子、あれから」
 聞きたくないと思った瞬間、告げていた。
「わたし、結婚します」
 斜め後ろにいる北原先生の腕を取り、この人ですと前に押し出した。
「え、あれ? 櫂の高校んときの、えっと北原先生? 暁海ちゃんと結婚すんの?」
「ご無沙汰しています。はい、そう相成りました」
 北原先生が答え、えーっと櫂のお母さんは素っ頓狂な声を上げた。
「そうなん? えー、いやあ、びっくりやわ」
「暁海ちゃんは櫂のお嫁さんにきてほしかったんやけど、これも縁やろねえ。あの子もちょいちょい調子よかったけど‥暁海ちゃんは賢いわ。幸せになってや」
p275
 心が折れそうになると、やはり通帳を眺めてしまう。暁海からは変わらず月四万円が振り込まれている。別に返してくれなくてもいいと思いながら、自分たちをつなぐ糸のようにも思い、今は現実的に俺を助けてくれる金に戻った。暁海に貸した金はそのときどきで姿を変えて、いつも俺の支えになっている。まるで暁海そのものだ。
p275
 名の通ったファッション誌で、こういう記事にありがちな満ちた笑顔ではなく、生真面目に口を真一文字に引き結び、カメラを見据えているのが暁海らしい。作品写真が添えられている。横に「注目の刺繍作家」と紹介文がついている。
「‥‥すごいやん」
 思わず声に出ていた。二十代半ば、若かった俺が上から目線で断じた夢を、暁海は叶えたのだ。会社勤めをしながら、母親の面倒をみながら、借金の返済をしながら、背負わなくてもいい荷物を背負いながら、じりじりと一歩ずつ這いずってきたのだろう。それがどれだけしんどいことか、皮肉にも夢に破れた俺にはわかる。
「‥‥ほんま、すごい女やな」
p278
「なあ櫂、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
 とろりと眠たげな目で、ソファテーブルに頬杖をついて尚人が言った。
「あの子の名前、検索してくれない?」
 誰かと問わなくてもわかった。
「できないんだ。自分じゃ、どうしても」
p280
 尚人はすうっと真顔に戻った。
「忘れたよ、もうなにがやりたかったのか」
「思い出せや」
「どうやって? もうどこ探してもない」
「見つかるまで探そうや。ふたりやったら怖ないやろ」
p288
「‥ほんま、みっともない」
「なにが?」
 絵里さんが弾かれたように俺を見た。
「ちゃんと税金納めてきてるのよ。櫂くんもわたしもみんなも、毎日しんどい思いして、下手したら病みそうになりながら働いて、そうして得た給料の多くを国に納めてるのよ。なにがみっともないのよ。病気のときは堂々と面倒みてもらえばいいじゃない」
p298
「苦労して育てて、やっと楽させてもらえるって思たのに」
「櫂は‥がんばってたと思いますけど」
「けど相方があかんかったわ。あの子もあたしに似て運がないんやろね」
「あれは誰も悪くなかったと思います。いろいろ誤解が重なっただけで」
「誰も悪うない?」
「はい」
「ほな、やっぱり櫂は運が悪いんやね。そういうことやろ?」
p308
 スーツケースを車のトランクに積んでいると結ちゃんが帰ってきた。
「暁海さん、どっか行くの?」
 どう答えようか考えていると、
「暁海さんは島を出ていきます」
 北原先生が答え、結ちゃんが瞬きをした。
「大事な人に会いにいくんです」
 結ちゃんはぽかんとして、あ、とつぶやいた。
「櫂くん?」
「ごめんなさい」
「いいんじゃないかな」
 今度はわたしが瞬きをした。
「お父さんが結婚してくれてほっとしたけど、暁海さんとお父さん、全然夫婦っぽくなかったもんね。いいコンビだとは思うけど、櫂くんとつきあってたときの暁海さんのほうが綺麗だったよ。つきあうなら、自分を綺麗にしてくれる男がいいよ」
p316
「朝のうちにこようと思ったんだけど、不動産屋さんに寄ってきたから」
 書類袋から賃貸物件らしき間取り図を出して俺に見せてくる。
「高円寺の3DK、純情商店街の近く。どう?」
p335
「自分のしたいことをする、それがうちの方針なんですよ」
 北原先生はいつもと同じ淡々とした口調で言った。
「うちはみんなそうなんです。ぼくも結も暁海さんも。知っているでしょう?」
 確かに、と櫂が顔をしかめる。
「では、もう一度訊きます。きみはどうしたいですか」
 櫂は静かに目を閉じた。
「俺は暁海と、花火が、観たい」
「そうしましょう」