「地球へのSF」で読んだ「黄金の書物」が良かったので図書館で借りてきました。
カンボジアのクメール・ルージュ時代の話しです。ポルポトによる自国民虐殺の歴史で悪名高い時期です。
ポルポトの隠し子らしい天才少女ソリヤ。少年時代に彼女とゲームをして負けたことから、いつの日か彼女に勝つことを目指して政治家・革命家として歩み始める神童のムイタックの二人の長い長い旅路を描いた上下巻の大作です。
筆者はウォーゲーマーとしてヴェトナム戦争史には、それなりに明るいつもりですが、その隣国のカンボジアになるとさっぱりです。
フランス植民地から戦後に独立しましたが、貧富の格差が激しく、貧しい者たちは共産主義に夢を託して革命を標榜しました。ポルポトは中学校の先生だったそうで、もともとそれほどイデオロギストではなかったのだそうです。
p151
ちょうど雨期だったこともあり、輪投げが禁止されたあとティウンとムイタックはクワンを呼んで家の中でトランプゲームをするようになった。そこでティウンは自分の弟が天才だということを認識した。ティウンもクワンも、年下のムイタックにまったく勝てなかった。ムイタックはまだ九歳だったが、頭脳はどんな大人よりもすぐれていた。昔から家族で遊んでいたゲームや、叔父から教えてもらったゲームの多くは、ムイタックがあまりにも強すぎたのですぐに禁止にした。
p179
西側に付くか東側に付くか、いつまでも態度をはっきりさせなかったシハヌーク殿下は、外遊中に親米派の首相ロン・乗るにクーデターを起こされた。それ以前からカンボジアはおかしかったが、ロン・ノルが政権を握るとさらに混乱した。ベトナム戦争中のアメリカはロン・ノルの許可を得て、カンボジア領内に逃げていた北ベトナム兵を爆撃し始めた。その爆撃の巻き添えを食らった多くのカンボジア人が命を落とした。
p192
「別に俺は平気だよ」
ムイタックは嘘をついていた。彼が本気を出すとすべてのゲームで彼が勝ってしまい、他の子どもたちがやる気をなくしてしまうから、彼はわざと負けていたのだ。ソリヤは納得がいかない様子だったが、そのときは特に反論もしなかった。次のゲームからソリヤが加わった。
そうやって数ゲームが進んで、彼女が勝ち続けた。ティウンが「勝てない」と感じたのは彼女が二人目だった。不思議なことに、彼女は勝つたびに不機嫌になっていった。
ゲームが進むにつれ、ティウンの中で次第に「本気を出したムイタックと、ソリヤのどちらが強いのか」という興味が大きくなっていった。ムイタックが他人に負ける所を見たことがなかったしもしそれが可能であれば、彼を負かすのはソリヤしかいないと思った。
p274
「ソ連や中国の犯したもっとも大きな間違いは何か」
西地区の会議で指導部の男がそう言ったことがあった。そのクイズに答える者はいなかった。沈黙ののち、男は自分で正解を口にした。「ソ連や中国は社会主義の徹底を図ったが、それでも労働者に賃金を渡すというシステムを終らせられなかった。賃金を渡すとどうなるか。労働者は金のために働く。金のために働いているので、金にならないことはしないし、意欲も向上しない君たちは何のために働いている?金ではなく愛だろう。革命に対する愛だ。我々は彼らと同じ間違いを犯さない。我々には勇気がある。我々は世界でも類を見ない。ゆえに我々は賃金を廃止する。労働者は純粋な革命愛によって働かなければならない。オンカーの仕事は労働者の革命愛を高めることである。オンカーのためにすべての意欲を捧げる革命戦士を生み出すことが、今後の課題である」
p275
革命から一年以上が経った。不穏はバタンバンで目にしたお祭り騒ぎを思い出した。最初から歯車は狂っていた。一斉退去は間違いだった。オンカーは旧来の村や街を解体し、集団農場を作って組織的に農民たちの収穫を増やそうと試みたが、そんなに簡単な話ではなかった。これでも一応農家出身だったフオンは、開墾や収穫増が非常に難しいことを知っていた。専門家の助言や調査の結果があってようやく成功する。だが、知識のある人をみんな処刑してしまったせいで、カンボジア国内には専門家がいなかったため、各集落では無茶な収穫増が求められ、意味のない開墾が繰り返された。そこでオンカーは、ノルマを達成できなかった農民たちに乱暴な手段を取ることにした。はじめは配給を減らす。何度も続くようであれば労働時間を増やす。
p325
武装した自警団の男たちが近づいた時、強い風が吹いて乾季の赤茶けた土が舞った。風がやんで土煙が薄くなっていく。泥は「舞え!もっと舞え!」と土たちに命令した。「もっと舞うんだ!」
本来なら時間とともに薄くなっていくはずの土煙が濃くなっていくように見える。視界が悪く、自警団は泥の正確な位置がわからずにいる。肉眼では1メートル先も見えないだろう。
下巻p32
カンボジアに来て、NPOで農業に携わるまでは、貧困とは基本的に飢餓の問題だと思っていた。先進国から大量に米や小麦を送れば解決するのだ、漠然とそう考えていた。しかしこの考えには二つの間違いがあった。
ひとつは、そもそも先進国から送った食糧は、貧しい人々のところに届かないということだった。役人たちが取り分をかすめてしまうし、実際に送られた分の食糧も、舗装されていない道路や性能の悪いトラックのせいで腐ったり虫に食われてしまったりした。
もうひとつは、そもそも飢餓は貧困の一部でしかない、というか、そもそも飢餓自体はたいした問題ではないということだった。たべるものは十分とは言えないが、最低限必要なだけはあった。貧困とは、腹を空かせることだけではない。住むところがあって食べるものがあっても、おいしいものが食べられなかったり、好きなものを買えなかったり、楽しみがなかったりする。農村部の貧困者たちは不衛生から来る疫病に苦しみ、病院に通えず、学校にも通えなかった。
p41
簡単に、そして安価で治せる病気に苦しむ貧困者がいた。彼らを助けるために予防接種を実施しようとしたが。しかし彼らは診療所へ行くことを嫌がっていて、その理由は医学的な知識のなさと、診療所への信頼度の低さにあった。診療所の信頼度を上げようと出勤管理を行うと、やる気のない役人とやる気のない医師の二つが合わさって失敗した。
p43
彼女は父の葬式のために借金をしていた。驚くべきことに、利率は年800パーセントだった。まあ、担保も取れず、額も小さい彼女のような人に金を貸すとなると、それくらいの利息になってしまうだ。彼女は四年間、利息だけを払い続けていた。かわいそうに思って、俺は彼女に70ドルを渡した。俺にとって70ドルは自分の人生を変える金額じゃないが、彼女にとっては人生を変える金額だと思ったんだ。若かったな。
一週間後に見に行った時、彼女は70ドルでテレビを買っていたよ。相変わらず利息を払っていた。でも彼女は「ありがとう、これで楽しみができた」って喜んでいたんだ。貧困っていうのは、たぶんそういうことなんだ」
下巻後半では「ロタリー」というランダムに選んだ政治家を調査して罪を暴く番組の話しになります。ほとんどのカンボジアの政治家は叩けば面白いように埃が出てくるので、番組は大人気となります。
この番組にCPOのトップに立ったソリヤ議長が当りましたが、彼女だけはいくら調べても汚職の類が見つかりません。
p163
先週のくじで当選したのはCPOのソリヤ議長だった。カンはそれが運命だと思った。番組試乗もっとも大物だということで、大きな注目を集めていた。
p194
「楽しいという感情を、ゲーム攻略の中核に置くんだ」
企画を立ち上げたときムイタック教授はそう口にした。楽しいゲームを作ろうとしても限界がある。何を楽しいと考えるかは人それぞれだし、勝つ者がいれば負ける者もいるからだ。私とティウンは、そのことを子どものころ、何度も話しあった。勝負における運の要素のバランス、駆け引き、囚人のジレンマ、読み、報酬。いろんな要素を点検したよ。でも、ルールに手を加えて、ゲーム自体を楽しくするのに限界を感じるようになったんだ。
アルンの発明は発想を逆転させた。ゲーム自体の攻略に、「楽しい」という感情が必要だったらどうなるか。
p202
「グリーンバーグと言う文化人類学者が、ソンクローニ族の社会では『掟』がとても重視されているということが知られていた。そして、掟にはトゥクラン、ヤンハブ、コーギの三種類がある」
「どう違うんですか?」
「トゥクランを破ると罰がある。たとえば嘘をつくと昼食抜きだ。これは軽微な罰だね」
「ヤンハブはトゥクランとどう違うんですか?」
「トゥクランと対照的に、ヤンハブは守ると報酬がもらえる」
「それって掟と言えるんですか?」
「難しいところだね。でも、カンボジアにも奨学金が免除になるルールがあったり、税金を優遇されるための条件があったりする」
「ヤンハブを守ると何がもらえるんですか?」
「褒めてもらえる」と即答した。
「それだけですか?」
「それだけだ」と教授は笑った。「それだけだが、ソンクローニ族にとって、褒められることは一番の名誉なんだ。ソンクローニ族はトゥクランを守りながら、余裕があればヤンハブを守ろうとする」
「三つ目のコーギとは、どんなものなのですか?」
「コーギは少し変わっている。ある意味では、掟を超越した信仰といえるかもしれない。グリーンバーグが調査したものでは、トゥクランが79個とヤンハブが31個存在した。だが、コーギは1個しかない」
「どんな?」
「『掟を守るために最善を尽くすこと』、これがコーギだ。コーギ違反はもっとも重い罪に当たり部落からの永久追放という罰を受ける。
話しをわかりやすくするために、ソンクローニ族の生活を、あるゲームだと考えよう。トゥクランはゲームのルールで、ヤンハブはゲームの勝利条件だ。そしてコーギによって、部落の全員がゲームに参加することを義務付けられているわけだ」
p247
「オスマン帝国は四年に一度、役人たちをバルカン半島に旅立たせ、二十歳以下の優秀な子どもたちを探させた。役人が村に来ると、キリスト教の司祭は洗礼を受けた子供たちの名簿を渡した。役人たちは、キリスト教の子供を探していたのね」
「デヴシルメね。高校で習いました」
「そう。奴隷制度ね。子どもたちはイスタンブールに連れていかれた。親と二度と会うことはない。イスラム教徒は奴隷にできない決まりだったから、キリスト教徒をさらった」
「かわいそうな話ですね」
口を挟んだ運転手に対し、「そうかな」とソリヤは返す。「一概にはそうとも言えない。なぜなら彼らはそこで最高の教育を受けたから。能力に応じて、一部はオスマン帝国の官僚になり、他はトルコ語とイスラム教を学び、イニチェリ部隊になった。彼らはオスマン帝国の大臣、首相、将軍になり、国家の運営をした。皮肉な話だけど、法律でイスラム教徒は収奪できなかったから、実質的にオスマン帝国の官僚になれたのは、キリスト教徒だけだった」
p254
「交通渋滞が大きな社会問題となったジャカルタは、ラッシュ時には三人以上同乗しないと罰金を課すという制度を作りましたが、その結果ジョッキーという、ただ車に同乗して罰金を払わなくて済むようにするアルバイトが発生しました。罰金よりも安い値段で車に乗るのです」
「その話しなら知っています」
「ルールだけに頼って人びとの行動をコントロールしようとしても限度があります。公正なルールを制定することと、実際に公正な社会をつくることには埋められないギャップがあるんです」
p301
君が浮気をしたとする。浮気をバレないようにするためには、どうするのが一番いいか。そう聞かれたんです。僕はバレたときのことを思い出しながら、『あらかじめ、しっかりした物語を作って置く』と答えました。とっさについた嘘は、基本的に強度がないんです。どこかに矛盾が生じてしまい、それをせつめいするためにまた嘘が必要になる」
「ラディーさんは、あなたの答えに対して、なんて言いましたか?」
不正解と言いました。結構自信あったんですけど、「そういう考え方だから君は浮気がバレたんだろう」と言われました。図星でした。
では正解は?
ボスはこう言いました。「バレずに浮気をする秘訣は、疑われないこと、そして調べられないことだと」
p357
「あなたは『チャンドゥク』というゲームを使って『選挙』というゲームに勝とうとした。でも、残念ながら、その作戦は失敗です。私も『チャンドゥク』を通じて、あなたの生み出した物語を追体験した人間の一人ですが、あれがあなたと母の物語だったと気が付いた今では、よりはっきりとわかります。
あなたがソリヤ議長をどれだけ深く愛していたか、です。あなたにとってゲームとはソリヤのことでした。あなたはゲームを求め、ソリヤを求めていた。あなたの『運命』はソリヤだったんです。あなたの狙いがどうだったかはわかりませんが、あなたが『チャンドゥク』に隠した物語は憎しみの物語ではありませんでした」
引用が多岐に渡りましたが、作者が本作を書くに当って勉強した範囲の広さには驚きます。タイトルの通りに二人の主人公は、カンボジアと言う王国を使って巨大なゲームを戦い続けました。
作者は、その勝敗を明確にしようとしませんが、それでもゲームというものの持つ本質に迫る幾多の知見を読むだけでも大いに満足させられる読書体験でした。