7月23日、ホーガンが急死した報が世界を駆け巡りました。
プロレス界最大のスーパースターであり、プロレスファン以外の人も知っている存在でした。
筆者がホーガンを見たのは、1980年だったかと思います。当時の新日本プロレスの外人エースは、ブレーキの壊れたダンプカーことスタン・ハンセンでした。ホーガンはこの年から本格的に新日本に参戦し、新日本はホーガンをハンセンのタッグパートナーとして売り出しました。
MSGタッグリーグ戦も当然この組み合わせで出場し、期間中にホーガンはバックランドのWWF王座に日本で挑戦しました。

その後、全日本との引き抜き合戦が始まり、ハンセンは全日本へ。
そして、アントニオ猪木世界征服の野望、IWGPで優勝して猪木越えを果たします。

ホーガンはシングルプレイヤーとしてエースとなり、一時は日本マットでもベビーフェイスになって日本陣営の助っ人となり、「イチバーン!」の雄叫びで一世を風靡しました。
やがて、マクマホンの代替わりで、ジュニアの全米制圧作戦のエースとしてアメリカマットでも大エースとなりました。その結果、日本マットからは遠ざかることとなりましたが、それは本人のためには良いことだったのだと思います。
さらにWCWに引き抜かれ、そこでアウトサイダーズ退治をするかと思われたものの、裏をかいたシナリオで、アウトサイダーズと結託して新世界秩序を打ち立てるべくNWOを組織します。
ここらへんまでホーガンの話し=プロレス界の話しとも言えます。
最終的にWCWが崩壊した後、ホーガンは古巣のニューヨークに帰ってきます。WWF側の若きカリスマ、ロック様とのイニシアチブはどうなるかと思われましたが、これまた意表を突いたシナリオでホーガンがアウトサイダーズに裏切られたのをロック様が助けて二人は握手するということになり、再びWWEマットでも主役の座を奪います。
ここらへんはごく最近の話になり、WWEのユーチューブでもいろいろありますので、以下省略で。
ご冥福をお祈りします。