今年のブログにおける課題

bqsfgame2007-01-05

日経新聞の1/4の紙面に「ローマ人の物語」を書き終えた塩野先生の指導者論の記事が載っていて非常に興味深く思った。いろいろな読み方ができるのだが、一つの切口として感じたのが、塩野先生は自分で考えて自分の意見を持っているということ。だから塩野先生のインタビューの応答は面白いのだと思う。
例えば、
「‥前略‥劇場政治とか、政治はケンカだとか言われたが、私はそれを否定する方がおかしいと思う。それがいやなら官僚をやっていたらいいのです。」
というくだりでは、ネガティブなイメージで語られることが多くなった劇場政治をなんとなくネガティブに捉える風潮に同調せず自分の意見を明確にしている。
また、次の件も面白い。
「インタビュアー:政治家の世襲はどう考えますか。ローマでは少なかったようですが。
 塩野先生:私は構わないと思います。ほかの仕事にも世襲はあります。子供の頃から情報とか雰囲気とか、何かを得ているはずです。世襲でつまらない人ばかり出ていれば、その党は票を失うでしょう。適度なバランスが働くはずです。」
政治家の世襲は問題というなんとなく通念化して語られる問題について明確に別の意見を持っている。そして、その理由をきちんと自分で考えていて、きちんと説明できている。
翻って面白くないコメントをするマスコミに登場する多くの人のコメントがなぜつまらないかを考えてみると、「他の人と同じことを言っている」、「自分で考えていない(つまりは受け売り、もしくは世論に対する迎合である)」というのが原因のような気がする。
別に世間と違うことを言えば良いという訳ではないが、世論をリードしているつもりでいて、その実態は世論のご機嫌を窺っているという人が多い気がする。これはマスメディアを受け取る側でもそうで、居酒屋の会話で政治談義をしても景気動向談義をしても会社の経営談義をしても、他の人が言っているのと同じ問題意識を主張して自分は問題意識のある人間だと思っているだけの人が多いような気がする。試みにそういう人に3回「なぜ?」を繰り返してみると、その人が本当に自分で考えて自分の意見を語っているのか、なんとなく周りがそう言っているから自分も言っているだけなのか測れる。
例えば
「このままでは日本はダメになる」
「何故ダメになると思うのですか?[1回目]」
「教育がダメだからですよ」
「教育のどこがダメだと思いますか?[2回目]」
「たとえばいじめ問題とか多いじゃないですか」
「では教育のどこが悪かったからいじめ問題が多くなったと思いますか?[3回目]」
これで3回目の何故にすぐさまそれなりの答えが返って来れば、その人はかなりしっかりと自分で考えていると言って良いと思う。残念ながら大半の場合はしどろもどろになってしまうだろう。
さらに言えば、その場はしどろもどろになっても、後日、「あの時の質問を考えたんだけど、やはりぼくは日本はダメになると思うんだ。なぜなら‥」と時間を取って考え直すときちんと出てくる人も合格点だと思う。ちゃんとキッカケさえあれば自分で考えて答えを出せる力があるということだから。しかし、こういう人はもっと少ない気がする。ちゃんと考えている人が一部、ちゃんと考えていなくてキッカケがあっても結局は自分で考えることをしない人が多数派。後で考え直す人は、それを機会にちゃんと考えている人に移行してしまうのだろう。