☆愛はさだめ、さだめは死を読む

bqsfgame2007-09-06

わたしがSFマガジンを読み始めたとき、ティプトリーはまだ男だった‥(^_^; 5年後に女性であることが明らかになりアメリカSF界では大騒ぎだと言う話しが伝わってきた。今を去ること24年も前のことである。
そんな訳で、最初にティプトリーを読んだ頃は覆面の男性作家で、実は女性だとか、実はCIAの創設スタッフだとか、後に壮絶な最後を遂げるとかいうことは知らなかった。当時の印象としては、「硬くて読みにくい作家だな」、「短編なのに読後感が重いな」というくらいだろうか。それほど強い印象を持っていたわけではなかったと思う。
近年になって順番に彼の作品を新しい方から読んできて、とうとう此処に辿り着いたと言う印象。此処には最初に出会った頃のティプトリーがいた。
ティプトリーのこの時期の作品を改めて読んで感じることは、「透徹した厳しさ」だろう。主人公は特別な存在ではなく、運命に従って非業の死を遂げることが多い。特別にそれをヒロイックに演出したりすることもない。その印象が特に強いのは、表題作の「愛はさだめ、さだめは死」だろう。蜘蛛のような生物の夏の間の愛と、二人で定めを越えて次の夏も生き延びようという努力を描く。しかし、その努力自体が定めを果たすことに繋がっており、彼は彼女を肥え太らせて冬を越えて子孫を残せるようにし、彼女の最後の餌として食べられてしまう。
「そしてわたしは失われた道をたどり、この場所を見いだした」では、科学の志を持つ抜擢された一学者がその志を果たそうとして失脚し、遭難し、大発見をするが誰にも伝えられずに死んでいく。
ティプトリーの主人公たちは強い主観を持って自分こそが正しいと信じている。しかし、ティプトリーの筆は冷徹にそうではないという事実を描写していく。その間のギャップがしっかりと維持されているのがティプトリー独特なのだと思う。
接続された女」については、年代別アンソロジーで読んだばかりだが、こうしてティプトリー作品集の中で読むとティプトリーの特徴が良く出た作品だと言うことがわかる。そして、もちろんサイバーパンクの先駆的な作品とも言えるエポックメイキングな一作でもある。