中南米ゲーム番外編:チャコ戦争

bqsfgame2008-08-26

「チャコ戦争」は、英語版コマンド12号の付録ゲームだった。
そもそも「チャコ戦争」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B3%E6%88%A6%E4%BA%89
と言われても日本人でピンと来る人はあまりいないだろう。「太平洋戦争の結果で発生した戦争ですよね」と言うのは亡くなられた博識の越田先生の答えだった。その通りなのだが、此処で言う「太平洋戦争」と言うのは日本とアメリカが戦った戦争のことではなく、ボリビアがチリに負けた太平洋戦争のことなのだから、一向に要領を得ない話しだろう。
1930年代は、大恐慌ファシズムの台頭で世界は第二次大戦前夜を迎えており、南米の国家間の地域紛争はもっと大きな戦争のプレリュードの前に影が薄かった。
チャコ戦争は、ボリビアパラグアイが両国の間に広がる緑の砂漠と呼ばれる不毛のチャコ地方を争って3年間に渡って戦った南米国家同士としては結構それなりに大きな戦争である。
ボリビア側の事情としては、チリとの太平洋戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89_%28%E5%8D%97%E7%B1%B3%29
に敗れボリビアは太平洋に面する海岸線を失ってしまい、貿易港を失ってしまったことが問題だった。そこでボリビアは背後に目を向け、大西洋へと繋がっている大河パラグアイ川のハシケが航行可能な部分まで自国領を開拓して主張しようと考えた。
一方のパラグアイは、ブラジル、アルゼンチンとの三国同盟戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F%E6%88%A6%E4%BA%89
で破れ賠償金負担で経済が困窮し、経済拡大のためにチャコ地方東部を開拓しようと考えた。そして、両者はそもそも最初にコンキスタドールたちが入った頃に曖昧に史料で記述されている程度にしか明確でなかったチャコ地方の国境線がどこにあるかを巡って戦うことになったのだ。
この戦争は最初にGDW社からボードゲームとして発表され、緑の砂漠で戦われた後の北アフリカ戦線を予言する流動戦線ゲームとして一部の支持を博することとなった。しかし、題材のマイナーさから絶版となり、一部のファンの間では再版待望論があった。それを創刊して間もない英語版コマンドが新規のゲームデザインの題材として取り上げたものだ。
史実記事が非常に充実していて15ページもあり、当時きちんと読破してからプレイしたものだが、話しが通じる人が越田先生くらいしかいなかったという記憶がある。
題材はマイナーだが、サポート記事の充実、ゲームのプレイアブルさなどから考えると、いずれ日本語版コマンドに付いても不思議はないと思っている。「ライオンオブエチオピア」が付いて「チャコ戦争」が付かない理由はないと思うのだがいかがなものだろうか?>コマンド編集部