ゲームジャーナル28号を入手

bqsfgame2008-09-11

付録ゲームは珍しくナポレオニックで「1813諸国民戦争」。
わたしはナポレオニックは門外漢なので詳しくないが、この諸国民戦争のシチュエーションはデザイナーにとってもプレイヤーにとってもチャレンジングで魅力的なのではないかという気がする。圧倒的な量で包囲して迫る諸国連合軍、しかし圧倒的な戦闘力で個別に戦えば必勝の力を持つことを武器に内戦の利を生かして奮闘するナポレオン軍。諸国連合は、「ナポレオンのいないところで前進すべし」というプランで真綿で首を絞めるようにフランス軍の命脈を絶とうとするが‥。
もう一つの付録ゲームは「春秋戦国」。中国古代史はさらに無知蒙昧をかこつので、こちらについてはノーコメントとしたい‥(^_^;
本号の注目記事は、「そこまで言ってインカ帝国?」だろう。なんと全盛を誇るカードドリブンシステムに対して批判的な立場の諸氏が様々な意見をぶつけ合って大いに盛り上がっている。「過激発言」を競い合っているようなところもあって、多少、ウケを狙った暴走気味の部分もあるかという気もしたが、「カードドリブン」がシミュレーションとしておかしいところを中心に適切な問題意識の指摘も多い。「カードドリブンがなんと言っても面白い」と思っているゲーマーが今は多いと思うが、だからこそ読んでもらいたい記事だと言う気がする。
個人的に特に同意するのは、「従来のヘクスゲームやエリアゲームでは表現が難しかった史実の有名エピソードをゲームに導入するために安易に使われ、結果としてプレイヤーのゲームにおける立場が不明確になっていることが多い」という部分。ゲーマーは史実のエピソードに詳しく拘りを持っていたりすることが多いので、それに迎合して売れるゲームを作るためにはカードドリブンにして有名エピソードをカード化して投入するのが有効なのだと思うが、結果としてプレイヤーのゲーム内の立場ではコントロールできたりしてはおかしいことがコントロールできるような作りになっていることがあるのでは?‥という指摘は極めて適切な問題意識だと思う。
たとえば、「トワイライトストラグル」のワルシャワプレイヤーの立場がブレジネフだとすれば、ソビエトのプレイするカードのイベントはブレジネフが能動的にコントロールしたり、あるいはしたいと思っていた内容で構成されているだろうか?
この辺りは、カードドリブンのカードプレイというものが、そもそも
1:プレイヤーにカードプレイを通じてマネージメントさせたいものを表現しているのか?
2:ランダムイベントやマイナーエピソードをいろいろと見せるために使っているのか?
という目的意識を明確にしてデザインされているかどうかなのではないかという気がする。
こう言っては身も蓋もないが、カードドリブンを創始したハーマン、発展させたレイサーあたりと、その後の雨後の筍のように利用しているデザイナーたちとの間にはデザインに当っての問題意識のレベルの違いがあるような気がする。結果として、ゲーム的には面白いが、シミュレーションデザインとしてはいかがなものかというカードドリブン作品も確かにあるような気がする。
その一方で、此処まで書いてみると、たとえば良く出来ている作品では、この部分がしっかりしているとも思う。
たとえば、カードドリブンの先駆者とも言えるアップフロントでは、
3:カードプレイは、分隊長のコマンドコントロールを表しており、同時にいろいろなこと全てはできないこと、適切なタイミングで適切な意思決定をするには情報と意思決定力の双方が必要で、往々にしてそれは揃わないということを示している
ように思う。カードプレイであることでフォッグオブウォーと意思決定の重圧が表現されているのだろう。
個人的に大好きなフォーザピープルについて言えば
4:一方の軍の政治的指導者として、直接的な軍事作戦と、間接的な戦略的軍事行動と、それらを円滑に進めるための政治的ビューロー活動(人事を含む)のいずれに政治的努力を配分し、どの指揮官にそれを依頼するかを表現するためにカードプレイが用意されており、それ故に指揮官にはどの程度の政治的圧力で行動に移るかのハードル(OP値)が設定されており、人事異動に関するいささかややこしく作戦級ウォーゲームなどでは存在し得ないサブシステムが規定されている。
ように思う。
記事には他にもプレイアビリティや、ランダム性、カウンティングなど様々な問題についても議論されているので、ゲームデザインについて問題意識を持っている人は必見だと思う。ただ、問題提起はされているが、当然、その場で議論の結論がすべて出せる訳もなく、問題意識の提起だけの部分も多いのでそこはご承知のほどを。
とまれ、今一番、売れているゲームシステムに対する批判的な討論会を中心記事に据える編集部の度胸はなかなかのものだと思う。