南北戦争:マクレランの誤算と評価

bqsfgame2009-01-05

マクレランについては慎重居士、消極的、臆病と言ったような評価が渦巻いている。このような評価が広く流布する背景には、戦争の勝利者となった偉大な大統領リンカーンのマクレラン評価、つまり戦争が中盤に入る段階で解任されたことが大きく影響しているように思う。
しかし、近年では日本のウォーゲーマーの間でも南北戦争の現場の事実がかなり認識されてきて、マクレランの評価は改まりつつあるようだ。一部には熱狂的なマクレラン贔屓のサイトも存在している。
マクレランは、対戦相手のボビー・リーから対戦した将軍の中でベストと評価されている。また、指揮官として部下から敬愛されてもいた。つまり、現場レベルで見たときには、北軍最優秀かどうかはともかくも、相当に評価を受けていた将軍であることは間違いない。
実際に、彼は南北戦争の東部戦域における北軍にとって重要な最初の勝利アンティータムで、最大の難敵ボビー・リーに勝利することさえした。政治的にアピールできる場面を求めていたリンカーンは、この勝利を利用して奴隷解放予備宣言を出し、南部の奴隷政策と妥協することなく戦い続けることを明確にしている。アンティータムは、リンカーンにとって待ちに待った重要な勝利だったのであろう。
にも関わらずマクレランは解任されてしまい、ポトマック軍の指揮は宙に浮き掛けた末にバーンサイドへと移されていった。
此処から先は筆者の邪推であるが、マクレランはリンカーンが政治的に必要としているものを理解できなかったか、理解していても現場レベルではボビー・リーの優秀な北バージニア軍を相手に達成できないと判断していたのではないだろうか。どちらかと言えば、後者であった可能性が高いように思える。
なぜなら、マクレランは一旦はリンカーンの要請に応じて10万を越える軍勢で敵地に上陸し半島戦役による南軍首都攻略作戦を一度は試みているからである。つまり、マクレランは政治的に必要な作戦行動が、前述した「速やかに反乱軍を鎮圧する方策」であることを一定程度は理解していたと考えられる。
しかし、彼は実行段階でそれを遂行することができず、「遂行が困難であること」を理解したのではないか。そして、残念なことに、そのことをリンカーンに納得させることができず、結果として二人の間に大きな齟齬が生まれ、マクレランは「すべきことの内で可能なことはきちんとやっている」と思い、リンカーンは「マクレランはすべきことをやっていない」と評価するようになって行ったのではないか。
その結果としてマクレランは、アンティータム戦の勝利の後に解任されてしまったのではなかろうか。
[つづく]