なつかしの昭和プロレスラー:アドリアン・アドニス

bqsfgame2011-02-26

プロレス以外のネタも貯まってきたので、一応、今回が最終回。また、機会があったらやりましょう‥(^o^)
最終回はアドニス
順番の妙だけれど、バンディの後に登場するとアドニスが小さく感じる。
西海岸の旧WWAエリアを振出しに、次はAWA入り。ベンチュラとのイーストウェストコネクションでAWA世界タッグ王座を取ってトップの仲間入り。このタイトルをハイフライヤーズに負けるまで一年間も守った。続いてWWFに入り、そこから新日本マット初登場は1982年。初来日でシリーズのエース外人だったのだが、シリーズ全体が今一つ盛り上がらなかった記憶がある。
その当時の惹句では、「次期AWAチャンピオン決定」などと言われていた。WWFでも時の帝王バックランドに流血TKO勝ちしたりして、末期バックランド政権でも引導を渡すのはアドニスかオーンドーフと言われていた。
しかし、いずれも実現せずシングルの王座を取ったのはWWFのNWAエリア侵攻のテストケースかと言われたブランチャードのSCWの新設世界王者。これは大きなトーナメントが行われて、日本のプロレス雑誌でも話題になった。決勝でWWFでの盟友ボブ・オートン・ジュニアを倒して戴冠。
戴冠後は日本での盟友マードックと抗争し、ダブルフォールの疑惑の裁定で王座預かりとなり、どういうジャッジか良く判らないがいつの間にかスコット・ケーシーに王座交代していた。
末期には薬物などの問題があり過度の肥満に陥るなどファンをガッカリさせた。
しかし、リハビリに成功して再び精悍な姿を見せるようになり、世界のプロレスで勇姿が見られ期待させた。ところが1988年に34歳で交通事故で死去。若すぎる死だった。