なつかしの昭和プロレスラー:キングコング・バンディ

bqsfgame2011-02-25

そろそろ終息を考えないとね‥(^_^;
バンディを最初に見たのは、これまた世界のプロレス。これも鉄の爪エリアからのフィルムだった。バンディはフリッツ・フォン・エリックが発掘したようなもので、なんとフリッツの引退試合の相手を務めさせてもらっている。この試合が放映されたのだが、解説者が「なんともやりにくい相手を選んだものですね」と言っていたのが印象深い。
エリックのストマッククローがバンディの腹にめり込むのだが、どう考えても脂肪を掴んでいるとしか思えなかったものだ。しかし、パイプ椅子で殴りつけておいて、最後は脂肪に守られていない頭へブレーンクロー。
その後、バンディは新日本にやってきて、アントニオ猪木とボディスラム賞金マッチをやる。この試合では猪木はバンディに抱え上げられるとヘッドシザースツイストで逃げると言うことを繰り返し、最後はアンドレも投げたことのある実績を見せてバンディを見事に投げる。そして、リング上でダァーッの雄叫び、しかし試合は続行されており隙を突かれてバンディに破れたのであった。
この時に古館アナウンサーが、「猪木、名を捨てて実を取ったのか!」と叫ぶのだが、筆者は「そうじゃないだろう、ボディスラムマッチのボディスラムと言う名を取って、勝負という実を失ったんだろうに」と思った記憶がある。
新日本からの逆ブッキングでWWF入りしたバンディは、ホーガンのライバルとしてレッスルマニアを戦うことになり、間違いなく一代をなした。残念ながら肥満からくる心臓の問題で早々にセミリタイアになってしまったが、それでもNYでビジネスマンとして生活し、WWFの中継ではないレスリング番組で丁度、筆者がNYでホームステイしていた時に「あの人は今‥」的に扱われていて、そうかもうリタイアしていたのかと思った記憶がある。
見た目は恐かったが心優しい巨人だったと紹介されていた。