なつかしの昭和プロレス:大木金太郎

bqsfgame2011-12-14

少しリアルデイトに遅れを取ってきて、スペースが出来たので懸案だった昭和プロレスの日本人レスラー編を。
年齢順に下って行こうと思う。
最初は1929年生まれの大木金太郎から。
同郷の英雄である力道山に憧れて密入国し逮捕されたと言う経歴の持主。同郷と言うことで力道山が引き受けてくれて日本プロレス入りした。馬場、猪木との力道山三羽烏として売り出した。しかし、頼りにしていた力道山が死去して一時帰国。
だが、猪木が東京プロレスに離脱したことから呼び戻されて馬場に次ぐナンバー2として活躍。しかし、猪木が東京プロレス崩壊で出戻ってくると、BI砲より格下になってしまった。
その後が日本プロレス黒歴史に入ってくるが、猪木追放事件、馬場の独立によって、坂口と日本プロレスの2枚看板になった。最後は、新日本との合併を模索した坂口も追放して日本プロレスのエースに。しかし、集客力はなく、最後は馬場の全日本プロレスとの対等合併に。
だが、馬場にマッチメイクで冷遇され、若手の鶴田が台頭してきたところで決別してフリーに。
その後は、馬場と猪木の冷戦下にあって、まず猪木と対決、得意の頭突きで押しながらバックドロップで逆転負けする。続いて馬場とも戦うが、猪木との格の差を意識した馬場は、猪木戦の半分の時間で大木をKOした。全般的に見て、馬場は大木のことをあまりリスペクトしていなかった節が窺われる。
日本プロレス崩壊の軌跡は、昭和プロレス研究室に詳しい。
http://www.showapuroresu.com/file/special.htm
この記事の最後に大木の人物としての器の小ささが揶揄されているが、日本プロレス末期の歴史を見ると、なるほどと思わされる。
個人的には、昭和50年の新日本の第2回ワールドリーグ戦のリーグ戦で猪木を頭突き16発でリングアウトKOした試合が印象に残っている。頭突きと言う技を必殺技として見せることができたレスラーだったと思う。この時に解説席にいた坂口に向かって、「おまえなんか6発でやっつけてみせるよ」と挑発。そして、大木対坂口戦は、新日本プロレス黎明期の伝説に残るセメントマッチとなったのだった。この経緯も昭和プロレス研究室に詳しい。
http://www.showapuroresu.com/file/file20.htm