なつかしの昭和プロレス:サンダー杉山

bqsfgame2011-12-19

馬場より2つ年下の1940年生まれには、3人のレスラーの名前が挙がる。
誰から行こうかと思ったが、既に鬼籍に入っているサンダー杉山から。
実は筆者は杉山の現役時代のファイトをほとんど見たことがない。
杉山は年齢からも判る通り、日本プロレスから出発している世代のレスラーになる。(マサ)斉藤、(グレート)草津三羽烏として嘱望されていたと言うが、3人とも独特なレスラー人生を歩むことになり日本マットの本流には属することはなかったように思う。
新団体の国際プロレスの旗揚げに参加し、アメリカマットもサーキットした。
帰国後、初代IWAチャンピオンだったビル・ロビンソンを破って戴冠。日本人で初めてロビンソンに勝利した実力は、コミカルな風貌からは想像が付きにくい。王座を約1年間守って9回防衛したので、フロックではなかった。
その後、全日本プロレスに移籍したのだが、処遇で衝突して離脱。
筆者が知っているのは、その後の時代だけで、ヒロ・マツダ率いる狼軍団の一員として新日本に外敵として逆上陸した時。国際時代の因縁でストロング小林と対決し、ゲタを履いて入場してきて、それを脱いだと思ったらゴング前にゲタで殴りかかってポカリ。
太鼓腹の巨漢だがアマレス代表選手であり、アスリートとしては高い能力を持っていたらしい。ドロップキックもこなす動きのよさもあり、高く飛び上がって巨体を浴びせる雷電ドロップには説得力があった。体型からは想像しにくいが、ジャーマンスープレックスの使い手でもあった。
糖尿病に悩まされてアーリーリタイアしたが、ビジネスマンとして成功した。
ルー・テーズビル・ロビンソンと言う当時の世界のトップクラスの外人レスラーから高く評価され、第一印象に似合わない実力者だった。
国際プロレスが杉山をエースとしてプッシュしていたら国際プロレスの行末は変わっていたかも知れないのだが、それは草津のお話しの時にまた。