パルティア小史

昨日のアーリア人から。
パルティア人はイラン高原に500年に渡る遊牧王朝を築いた。
これは西方の敵が史上最強のローマ帝国だったことを考えると驚異的とも思える。しかし、遊牧民族の常で、史跡が残りにくく、資料が残りにくいので、あまりパルティアの研究者は多くなく、結果として論述されることも少ない。
彼らがローマ帝国と張り合うことが出来た理由は明確でないが、恐らくは重装騎兵を有していたことが有力ではないかと推論されている。
青木先生はパルティアを三期に分けていて、
前期:西へ西へと移動した遊牧王朝の時代
中期:メソポタミア接触し定住形式と混在した時代
後期:内戦の結果、遊牧派が勝利して遊牧王朝に還った時代
としている。
中期にはメソポタミア平原へと至り首都をクテシフォンに構えていたと言う。
この時期に共和制ローマ接触しているが、まだ重装歩兵依存だったローマにとっては手強い隣人だったと言うのだ。
最終的には内乱に外敵の問題も重なり、ササン朝ペルシャへと覇権は移っていく。