なつかしの昭和プロレス:木戸修

bqsfgame2012-12-27

1950年生れ。実は藤原と一つしか違わない。
新日本プロレスの一番弟子的な存在。コマ不足の中、それでも新日本が海外遠征に出したのは期待の表れだろう。ゴッチ道場ではゴッチに目を掛けられ、日本人レスラーの中でも一番ゴッチに近づいた弟子と評価された。
藤原と比べるとクールダンディなのだが、ちょっとクールすぎてファイトのアピールに乏しい印象は否定できなかった。そのため、彼も前座中心となってしまい、あまり活躍できなかった。
第一次UWFにゴッチが参画し、欠場中だった木戸に声を掛けたことからUWFに合流。UWFの総当たりリーグ戦の第1回では、佐山と藤原が直接対決で両者負傷して不戦敗になった加減で木戸が優勝。木戸の実力が一気にクローズアップされた。
新日本との対抗戦では、格闘技路線を主張してロープワークを拒否するUWF勢の中で、割と柔軟にプロレスムーブメントに応答した。しかし、燻し銀の関節技やクラッチホールドで後輩を苦しめ、前田とのタッグで藤波、木村組を下してタッグ王座に就いた。この時も木戸のキドクラッチがフィニッシュだった。
その後も隠れた実力者として新日本マットで活躍。第二次UWFには参画せず、理由はゴッチさんがいないからと答えていた。
近年では長女がプロゴルファーになったことがニュースになった。