なつかしの昭和プロレス:ヤス藤井

bqsfgame2013-02-18

原稿と日記を付き合わせてみたらアップロード忘れがあるのに気付いた。
1949年生まれ。
高校時代は水泳と言うからカブキと同じバックグラウンド。国際プロレスに井上と同時期に入門したが格闘技経験者の井上が先にデビューした。この経緯から井上のことをライバルとして強く意識するようになったらしい。
シャチ横内と海外修行に出て、そのままカミカゼレスラー化する。日本プロレスの坂口が武者修行でアメリカに行った当時に、アメリカで対戦して勝ったことがあると言うのが本人の自慢の一つだったそうだが記録は定かではない。
国際では吉原社長と問題を起こすレスラーがいたが、この人は除名されてしまったから相当にひどく衝突したのだろう。その後に上田のパートナーとして外人サイドで国際マットを強襲、同期の井上を狙って抗争した。
新日本マットでストロングマシーンが増殖した時に、最後に1号とワカマツが仲間割れして1号対3号と言うカードがオンエアされた。その時に長身ながら渋いグランドレスリングで馬力のある1号をあしらう3号の意外な実力が披露され、筆者は3号の正体を探して日本人レスラーの名鑑を当って体格やキャリアから見てヤス藤井ではないかと推定した。この推論をウィキペディアに記入したのは他ならぬ筆者なのだが、その後、この説は最有力説として定着しているようである。ハワイ在住で観光ガイドをしていると伝え聞く。