なつかしの昭和プロレス:鶴見五郎

bqsfgame2013-02-19

原稿と日記を付き合わせてみたらアップロード忘れがあるのに気付いた。
1948年生まれ。
外見からは想像しにくいが、東海大学工学部から国際プロレス入りした。ヨーロッパからメキシコと武者修行に出ており、これも意外だがヨーロッパ仕込みのレスリングができる貴重な存在だった。
ただトラブルの多い選手で吉原社長と衝突して団体内ヒールに転向、ミスター珍、大位山と独立愚連隊を結成。思えば日本人団体抗争の先駆け的な存在だった。
国際崩壊後は新日本に上がった木村とも全日本に上がった井上とも行動を共にせず、空白期間を挟んでフリーの立場で外国人サイドで全日本に登場した。シン、上田と組んで、井上、原と戦ったと言うからどこまでもヒールサイドだった。この時期には年末の最強タッグにワンマンギャングと組んで登場したりした。
ラッシャー木村が全日本マットに登場してくると国際血盟軍を結成して久しぶりに行動を共にする。だが、ジャパンプロレスも含めて日本人の人数が多くなりすぎ、剛竜馬アポロ菅原、高杉が解雇されてしまい、早々にフェードアウト。
再三登場する問題のSWSにワカマツのコネで檄に参加する。檄ではナガサキ、谷津に次ぐナンバー3だったが、周知のとおり団体が早々に崩壊する。
以後はFMWに一時参戦後、ワカマツ率いる宇宙パワーに変身したり、インディーを渡り歩いた。
晩年は鶴見市場で鶴見自身が中心となってIWAのベルトを復活させて屋台プロレス的に興業。この興業は意外に長く続き、当時横浜在住だった筆者はプロレス好きの知人に誘われたりしたが、結局、行く機会のないまま使用していたトラックの排ガス規制違反で終焉。鶴見は一応引退した。その後もインディーズのスペシャルイベントに顔を出したりしているが、本格的なファイトはしていない模様。