なつかしの昭和プロレス:石川隆士

bqsfgame2013-02-05

1953年生れ。
日大相撲部のアマ横綱で、幕下付け出しで輪島のいた花篭部屋でデビュー。四股名は親方の大ノ海を与えられたと言うから大変な期待株だった。大相撲を熱心に見ていた時期に出世してきたので記憶に残っている。頭を付けて出し投げで崩す非常に理にかなった取り口の相撲巧者だった。しかし、出世途上で突然、糖尿病で廃業。病気で廃業したのにプロレス転向したので、どうしてプロレスラーは病気でも勤まるのだろうと不思議に思ったものだ。
そんな不透明な事情もありフリーレスラーとしてデビュー。馬場の支援で海外修行し、国際プロレスのオープン大会に凱旋帰国してから全日本入団と不思議な経路を辿った。
天龍の所で書いたが戸口離脱後の全日本第3の男を天龍、井上らと争った。相撲タックル、ブランチャーなど突進力を生かした技でキビキビしたファイトを展開し、個人的には好感が持てた。
その後は佐藤昭雄とのアジアタッグ王者となり、ナガサキの変身であるドリームマシンをジャーマンで切って取るなど地味ながらも活躍した。横綱輪島がプロレス入りしてくると相撲時代の関係もあってパートナーとして支援した。1988年に一旦引退したが、同じ大相撲出身の天龍がエースのSWS旗揚げに参加して復帰。その後は東京プロレスを結成したり、フリーで様々な団体に上がるなどして意外に息長く活躍。新日本マットに上がって同世代の藤波とシングルで戦ったりもした。
今は警備関係の会社をやっていると聞く。