○ヴァンドーム公 ブルボン

オーストリア継承戦争の序盤戦でイタリア方面で連敗したフランス軍は、建て直しのためにヴァンドーム公を派遣した。しかし、ヴァンドーム公もルッサーラの戦いに敗北してしまう。しかし、ヴァンドーム公はしぶとく状況の改善に努力し、ついに1705年、カッサーノの戦いでオイゲンに勝利した。オイゲンが前線から本国へと退いた時期に勝利を拡大したが、マールバラ公に対して劣勢にあったネーデルランド方面へと転戦を命じられた。その結果、イタリア方面ではフランス軍は前線に復帰したオイゲンにトリノの戦いで敗れ、折角の優位をふいにしてしまった。
ネーデルランド方面では、ブルゴーニュ公、ベリック公と意見が衝突し、結果としてリーレ包囲戦で敗北してしまう。この結果にフランス軍の指揮を執ることに失望し隠退してしまった。
しかし、新スペイン国王フェリペ5世に請われてスペイン軍の指揮を執ることとなり、ブリウエガ、ビジャビシオーサの戦いで軍功を挙げた。しかし、1712年に急死、戦争の決着を見ることはなかった。