△ミナス侯 アントニオ・ルイス・デ・ソウサ

ポルトガルの将軍。
ポルトガルは1702年段階では親フランスの立場にあった。しかし、1703年、メシュエン通商条約をイギリスと調印、さらに軍事同盟を締結した。ソウサは国境線の守備に赴いた。先に攻撃してきたのはベリック公のフランス−スペイン連合軍だったが、ソウサは粘り強くて抵抗してフランス軍の侵攻を止めることに成功した。
ポルトガルの最初の攻勢は1705年秋、ソウサとゴールウェイ伯ヘンリーの指揮で実施されたが、二人の折合いが悪く不首尾に終わった。
1706年にフランスの国境守備を破ったソウサは、マドリッドへと前進した。6月28日、同盟軍が推戴するカール6世がスペイン王に戴冠した。しかし、すぐにこの戴冠を維持する力が同盟軍にはないことが明白になった。マドリッドの市民は新国王に敵対的であり、ポルトガルとの連絡線はベリック公により遮断されてしまった。ポルトガル軍はバレンシア方面の同盟軍と合流するためにマドリッドを離脱したが、それを待っていたベリック公の攻撃を受けアルマンサの戦いで敗北した。
その結果ソウサは更迭され、国内職に異動し以後、本戦争に関与することはなかった。