オランダ東インド会社

東インド会社の中で最初に活動を開始したのは、オランダの東インド会社です。公的には1602年の発足で、世界初の株式会社とも言われます。東インド会社と言いますが、その権限範囲は喜望峰の東全部ですので、アフリカ東海岸や中東を含み、東南アジアから極東に及びます。すごい広さですが、当時のヨーロッパ人にとっては、喜望峰の向こうの辺境は十把一絡げだったのでしょう‥(^_^;
少し遡りますが、16世紀末、スペインがポルトガルを併合(1580年)し香辛料貿易を独占しており、オランダは状況打開のために東インド会社を作りました。名称と一致しませんが、東インド会社はジャワとの交易に成功しビジネスモデルを確立しました。
しかし、上手い話しにはライヴァルが参入してくるもので、現地での仕入れ価格は上昇、欧州での販売価格は下落していきます。さらに、イギリス東インド会社が設立(1600年)されるに及んで事態は一気に険しくなりました。この事態に対処するために、先行していたオランダ商社が大同団結して作ったのがオランダ東インド会社なのです。ですから、設立はイギリス東インド会社より後になっています。
オランダ東インド会社は、特に東南アジア圏で強く、先行していたポルトガル植民地を席巻し、東南アジアではイギリスやフランスの侵入を排除しました。その結果として、イギリスはインド経営に主軸を置くようになったのです。
このため、東南アジアよりさらに先にある極東でも、オランダは欧州勢力としては先行する存在となり、これが江戸幕府が唯一の交易相手にオランダを選んだ理由となります。
オランダ東インド会社自体は、アジアで強力な存在であり続けました。しかし、本国の方がアングロダッチ戦争や、ルイ王朝のフランスとの戦争で疲弊し、最終的にイギリスのウィリアム3世がオランダ総督となった時点で、東インド会社の軍門に下ることとなります。
正式な解散は1799年ですから、200年近く存続したことになります。