3つの東インド会社:フランス東インド会社

bqsfgame2014-09-23

おぼろな記憶ですが、筆者が中学で習った世界史に、オランダ東インド会社とイギリス東インド会社は出てきましたが、フランス東インド会社は出てこなかったように思います。ウォーゲーム的にも、フランスは陸軍国のイメージが強く、あまり海上交易で繁栄した印象がありません。
フランス東インド会社は、オランダ、イギリスの成功を見たフランスのアンリ4世の命で1604年に発足しました。いわゆる柳の下に何匹ドジョウがいるかみたいな話ですが、出遅れたフランスは東南アジアではオランダに、インドではイギリスに後れを取ってしまいます。しかし、ルイ14世の時代になって、重商政策のコルベールにより正式に国営化され、アジア圏に限定しない国際貿易会社として再出発します。この資金は、国王や有力貴族の出資を募りましたが、不足分は主要都市に強制的に配分されました。しかし、当時の海上交易リスクが顕在化し、株主総会では王侯と市長たちが頻繁に対立したと言います。結局、1684年に、投資家が増資に応じないことから会社清算となり、80年と言う他国の東インド会社からすれば大幅に短命な会社として失敗に終わりました。
この話しには続きがあって、清算会社を引き受けたのはコルベールの息子のセニュレーで、その後は混乱した株主総会に振り回されることなく営業され、復活を遂げたそうです。しかし、これは大航海時代の3つの東インド会社の物語とは切り離して議論するべき新時代の国際商社の物語でしょうか。しかし、この会社は後のプラッシーの戦いにも噛んでおり、植民地戦争時代のフランスの出先機関としての役割を離れた訳ではありませんでした。