7年世界戦争を対戦プレイする:20年目

●開始時の世界的な構図
イギリスは、植民地主義の時代のフロントランナーとして世界に影響力を広げつつあります。イギリスのライヴァルとして浮上してきたフランスは、イギリスとの間で新大陸のイニシアチブを巡ってフレンチインディアン戦争を開始しました。
プロイセンが、ヨーロッパ大陸の新興陸軍国家として台頭、シレジアの領有を巡ってオーストリア+ロシア同盟と開戦することになりました。
●20年目の結末
ゲームの展開を追う前に歴史的にはどういうことになったか整理しておきましょう。
フレンチインディアン戦争は、イギリスの勝利に終りました。インド争奪戦でもイギリスはフランスに勝利してマラータ同盟を弱体化させ勝利者となりました。北米大陸インド亜大陸で勝利したことで、イギリスは日の没さぬ世界帝国へと発展していくこととなりました。
しかし、そのための戦費は膨大なものとなり、これを回収するために植民地に重税を課すことが必要となります。これに対する植民地の反発は激しいものとなり、7年戦争の開始からわずか20年後の1776年に北米植民地は独立し、新たな世界戦争のプレイヤーであるアメリカが誕生することになります。
プロイセンは列強を相手にシレジアの領有権を死守することに成功しました。これはフリードリヒ2世の軍事的な才能に依存するところが大きく、このため欧州7年戦争はウォーゲームの人気のある題材の一つになっています。しかし、その2代後のヴィルヘルム3世の時代には台頭してきたナポレオン・フランスに苦戦することになります。
マラータ同盟は英国との衝突で疲弊して解体、世界の覇者となった英国の次のターゲットが満州帝国になる訳ですが、ここらへんからは日本のウォーゲーマーには説明の必要はない部分でしょう。
オスマン帝国は最盛期に比べて存在感が薄いですが、西進に失敗し南下政策に転じたロシアと露土戦争を戦い領土を奪われます。この時の怨念が後にオスマン帝国第一次世界大戦でロシアに対して宣戦しドイツに組する遠因となりました。オスマン帝国はイギリス発の産業革命に乗り遅れて、前近代国家として「病人」と揶揄されるようになり往年の影響力を急速に失っていきました。