戦闘機:第4部:戦闘の記録を読む(引用1)

p14

第3段階

イギリス空軍の言う「重大局面」の次期。この攻撃は8月24日に始まり、9月6日まで続いた。

p16

対するイギリス側では、ダウディングは船団の防衛任務など当初から度外視して、作戦計画の勘定には入れていなかった。

p32

イギリス戦闘機軍団の重大問題は、その戦技にもあった。その主流にしてかつ絶対的多数を占めている正規軍人はもとよりのこと、そうでない傍系出身の者にいたるまでことごとく、平時の観念から編み出されたにすぎないあの緊密なV字編隊を保って行動することこそ価値ある戦技だということを、金科玉条として教え込まれた者たちのみで構成されていた。

p34

海峡上空で空中戦を交えるようになってみた時、ドイツ戦闘機隊の採用している一種間合を大きくとって極めて疎に組んだ「シュヴァルム」という編隊戦技のもっている大きな利点を、それに接したイギリス戦闘機隊員たちは認識せざるを得なくなった。

p66

平時のイギリス軍航空は、いざ戦時下に入った場合に必要になると予想されるケタ外れに厖大な航空機修理能力を、全く持ち合わせていなかった。

p70

そこでビーヴァーブルックが就任と同時にまず最初にうった手は、スーパーマリン社に電話してこの第二の工場でのスピットファイア量産業務のすべてを、そっくりそのまま同社の手で肩代わりをしてしまえと命ずることだった。同社が背負っていたウェリントンハリファックスといった他社爆撃機の下請は忘れてしまえと命ずることも忘れなかった。要するにいま一番欲しいのはスピットファイアだけなのだと、いいきったのである。

p73

ドイツでもイギリスでも、敵に与えた損害がどの程度かの検討は皆目つかみ得ていなかった。戦闘機パイロットが帰ってきて報告することはべらぼうに誇張されているのが普通で、ドイツ側の宣伝機関は自軍損害は必ず半量に値切って公表し、イギリスがパイロットの報告を鵜呑みにしていたからである。

p82

そこへゆくとドイツ空軍は搭乗員のためには実にいたれりつくせりの救難組織を用意していた。最もものをいうのはなんといっても水上機で、捜索にも救助にも大いに役立つからである。それに個人装備でもフレアーやシーマーカー染料、黄色の飛行帽なども支給していたし、特に戦闘機乗りには個人用救命浮舟まで携行させていた。

p116

ドイツ空軍情報部の怠慢さは、イギリス航空機工業の実態把握にかけた点にもある。スピットファイアもハリケーンロールスロイス・マーリンを装備していることはイギリスでは小学生でも知っていた。マーリンエンジンを製造している工場は当時イギリスには二カ所しかなく、ひとつはダービーのロールスロイス本社工場だった。スピットファイアにいたっては機体の製造工場はたったひとつ、サザンプトンのスーパーマリン工場だった。

これら三工場はいかなる犠牲を払おうとも、潰滅させておくべきだった。だが、実施された攻撃にその種の者はただの一回もなく、戦果は皆無に終わってしまったのだった。